レプトスピラによる感染症。1886年ドイツのワイルAdolf Weil(1848-1916)が初めて本病の4例を記載したため,〈ワイル病〉と呼ばれているが,学術的には,本病の病原体発見者稲田竜吉(いなだりようきち),井戸泰(いどゆたか)の命名に従って,〈黄疸出血性レプトスピラ病〉と呼ぶのが正しい。病原体は1915年稲田と井戸によって発見され,現在はLeptospira interrogans subvar.icterohaemorrhagiaeと呼ばれるが,それと抗原構造が少し異なるsubvar.copenhageniによるものもある。病原レプトスピラはドブネズミなどが保有し,それらの尿中に排出されるので,それによって汚染された田,池,川などに入って経皮感染することが多い。汚染された食物により経口感染することもある。
潜伏期は約1週間。経過は3期に分けられ,第1病週を第1期(発熱期),第2病週を第2期(発黄期),第3病週以後を第3期(回復期)という。初発症状は,悪寒,発熱,頭痛,高度の全身倦怠,眼球結膜の充血,筋痛,関節痛,腰痛など。これらのうち,眼球結膜の充血は早期診断にとくに重要な症状である。第4~5病日になると,黄疸,出血傾向が現れ,第2病週に顕著となる。黄疸,出血,タンパク尿を本病の3主要徴候という。発病初期からみられる重要な臨床検査所見は,タンパク尿,赤血球沈降速度の促進,白血球増加などである。
経過がきわめて速やかなため,できるだけ早期に治療を開始することがたいせつである。薬剤としては,ストレプトマイシンが最も有効である。その他のアミノグリコシド系,テトラサイクリン系,マクロライド系,セファロスポリン系,ペニシリン系抗生物質も有効である。第5病日までに適正な治療を開始した場合の致死率は10%以下であるが,それ以後では20~30%におよぶ。
執筆者:小林 譲
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…大正前期の内科医。ワイル病病原体発見者の一人。岡山県生れ。…
…青山胤通に師事,ドイツに留学,京都帝大福岡医科大学(現,九州大学医学部)教授。1915年井戸泰(いどゆたか)とともに黄疸出血性レプトスピラ病(ワイル病)の病原体を発見。さらに同病の治療・予防にも論及した。…
…ただしそれも北宋時代に校勘作業を受けているから,現行本にも唐代のものとのあいだに多少の違いのある可能性があり,巻によって内容量が大きく違っているから,完本でないことも明らかである。傷寒は急性の熱病で,発疹チフスとかワイル病などを含めた複数の病気の総称であろう。《傷寒論》は傷寒の発病から死亡までの全経過を6段階に分け,各段階のさまざまの病状を記述し,それぞれに応じた治療法を指示したものである。…
※「ワイル病」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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