一遍上人絵伝(読み)いっぺんしょうにんえでん

精選版 日本国語大辞典 「一遍上人絵伝」の意味・読み・例文・類語

いっぺんしょうにん‐えでん ‥シャウニンヱデン【一遍上人絵伝】

時宗の祖一遍の諸国教化行脚(あんぎゃ)を描いた絵巻物。聖戒の編纂(へんさん)したもの(一遍聖絵)と宗俊の編纂によるもの(一遍上人縁起)との二つの系統がある。聖戒が詞書を書き、円伊が描いた京都歓喜寺蔵(一部は東京国立博物館蔵)の一二巻本(一二九九)は国宝。

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デジタル大辞泉 「一遍上人絵伝」の意味・読み・例文・類語

いっぺんしょうにん‐えでん〔イツペンシヤウニンヱデン〕【一遍上人絵伝】

一遍の伝記を描いた絵巻物。聖戒編・円伊筆の、京都歓喜光寺に伝わり12巻からなる「一遍聖絵ひじりえ」が最も有名。正安元年(1299)成立。一遍の生涯を、各地の風物や社寺の景観の中に描いたもので、国宝。他に、宗俊編の10巻本系統のものもある。

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改訂新版 世界大百科事典 「一遍上人絵伝」の意味・わかりやすい解説

一遍上人絵伝 (いっぺんしょうにんえでん)

時宗の開祖一遍上人智真の諸国遊行・布教の生涯を記録した伝記絵巻。各種多様な遺品が存するが,二つの系統に大別される。まず《一遍聖絵(ひじりえ)》12巻(歓喜光寺蔵,ただし第7巻は東京国立博物館蔵)は絵巻としては珍しく絹本に描かれ,第12巻奥書に正安1年(1299)8月,聖戒(しようかい)が詞書をつくり,法眼円伊が絵を描き,藤原経尹が外題を書いたことを記している。このいわゆる聖戒本は一遍没後10年目に,一遍の近親でもあり高弟でもあった聖戒と,やはり一遍の身近にあったと思われる円伊が,数名の画家を統率し,報恩報徳の念をこめて制作したもの。一遍伝として最も成立が早く,同時代史料としても価値が高い。一遍の生涯の事跡を阿弥陀の四十八大願にちなんで48段にまとめている。画面には上人が遍歴した各地の風物や社寺の景観,一般民衆のありさまなどが,四季おりおりの詩情あふれる自然景,あるいは京の街の喧騒の中に緊密細心の筆で写し出されている。なかでも各地の社寺の景観描写は,当時盛行した社寺曼荼羅をおもわせる正確さをみせ,史料的にも重要である。視点を高くとり,横に長く連続する画面に広闊な空間性を与え,霞や靄を多用して遠近感を表すなど,伝統的なやまと絵の技法に,新しい中国風景画巻の手法をもとり入れている。諸本のうちこの聖戒本の系統は少ない。これに対し,宗俊(一遍の門弟,あるいは2祖他阿の弟子)が編纂した《一遍上人縁起絵》10巻本(宗俊本)は,第5巻以降を他阿真教の伝記にあて,時宗教団の目的にいっそう合致したためか,この系統のものが多く制作された。その第1伝本は伝わらないが,金蓮寺本(1307作,ただし現存するのは転写本),真光寺本(1323作),金台寺本,清浄光寺本(1911焼失)などがあり,これらは《遊行上人縁起絵》とも呼ばれている。
執筆者: 《一遍聖絵》は京都の六条歓喜光寺に伝わったので《六条縁起》ともいう。生国伊予での生いたちから,九州や伊予での修行,さらに四天王寺高野山・熊野をへて,南は大隅,北は奥州江刺までの全国各地を遊行する様子をたどり,摂津兵庫での死によって結ばれる。熊野権現から夢告をえたこと,信州伴野で見た紫雲に導かれて小田切の里で踊念仏を始めたことなど,神祇や民俗信仰との深い関連が示される。画面には武士猟師漁民や陸上・水上の運送業者,琵琶法師のような漂泊芸能者,〈非人〉とよばれ社会底辺に生きる人びとの姿が描かれ,悪党が帰依したことが指摘されているが,農民の姿はあまり見られない。そこにこの絵巻独自の人間観が示されている。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「一遍上人絵伝」の意味・わかりやすい解説

一遍上人絵伝
いっぺんしょうにんえでん

時宗(じしゅう)の開祖、一遍上人の行状を描いた絵巻。京都、歓喜光寺(かんぎこうじ)に伝わり、全12巻からなるが、現在第7巻は寺を離れて東京国立博物館蔵。国宝。奥書により、1299年(正安1)一遍の高弟聖戒(しょうかい)が詞(ことば)を起草し、法眼(ほうげん)円伊(えんい)が絵を描いたことがわかる。一遍は伊予国(愛媛県)の生まれ。初め浄土宗を修めるが、のち独自の宗旨を打ち立てて時宗を興す。とくに踊念仏という独得の信仰形式を生み出し、全国を遊行(ゆぎょう)して貴賤(きせん)の間に念仏を勧め、民衆の教化(きょうげ)に努めた。絵巻は上人の行状を忠実に記述し、布教の模様とともに各地の名所や社寺の景観を多分に取り入れる点に特色がある。全体に人物を小さく扱い、むしろ背景の自然描写に深い関心が注がれ、四季おりおりの風景を美しくとらえて歌絵、名所絵的な趣(おもむき)を伝える。人物や建築の的確な描写には鎌倉時代の写実主義の傾向が強くうかがえ、また山水の構成には中国宋(そう)の山水画の影響が指摘できる。大和(やまと)絵の伝統に宋画の力強い表現を加味した作風は独得で、いくつかの類似の作品をみることから、円伊派の存在を考える説もある。詞書は、五彩に染め分けた絹地を料紙とし、当時の能書家と思われる4人の筆で書きつづられる。

 なお、一遍の行状を扱った絵巻には、このほか、宗俊(そうしゅん)の編じた1本があり、多くの流布本を残している。これは、一遍と第二祖の他阿(たあ)上人の伝記をあわせ説いたもので、俗に『遊行(ゆぎょう)上人絵巻』とよばれる。

[村重 寧]

『『新修日本絵巻物全集11 一遍上人聖絵』(1975・角川書店)』『『日本絵巻大成別巻 一遍上人絵伝』(1978・中央公論社)』


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百科事典マイペディア 「一遍上人絵伝」の意味・わかりやすい解説

一遍上人絵伝【いっぺんしょうにんえでん】

時宗の開祖一遍の生涯を描いた絵巻。十数種の伝本があるが,2系統に大別される。(1)聖戒(しょうかい)本。奥書によれば1299年一遍の弟子聖戒が詞書(ことばがき)を作り,円伊(えんい)が絵を描いたとある。原本の清浄光寺蔵12巻本(第7巻のみ東京国立博物館蔵)が最も有名で,《一遍聖絵》と称す。大和絵の技法に宋元山水画の影響がみられ,各地の自然と民衆をパノラマ的にとらえながら,リアルな描写と詩情を融合させた傑作。(2)宗俊(そうしゅん)本。一遍の弟子宗俊が編纂した《一遍上人縁起絵》10巻本で,この系統のものが多く作られた。鎌倉〜室町期にかけ長野金台(こんだい)寺本,兵庫真光(しんこう)寺本などがある。
→関連項目篝屋福岡市

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「一遍上人絵伝」の解説

一遍上人絵伝
いっぺんしょうにんえでん

時宗の開祖一遍の伝記絵巻。現存作品は15点以上知られるが,詞書(ことばがき)で分類すれば聖戒(しょうかい)編「一遍聖絵(ひじりえ)」と,宗俊編「一遍上人絵詞伝」の2系統。宗俊本は10巻中4巻分が一遍の伝記で,1307年(徳治2)以前に成立した原本は現存せず,各地に転写本が残る。聖戒本は1299年(正安元)制作,12巻。絵巻には珍しい絹本着色,絵は円伊(えんい),外題は世尊寺経尹(つねただ)と伝える。一遍が遊行した全国の景観,風俗を平安時代以来の伝統的な名所絵,四季絵に水墨画の趣を加味した独特な画風で描く。縦37.7cm,横935.5~1163.5cm。歓喜光寺・清浄光寺蔵(第7巻のみ東京国立博物館蔵)。国宝。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「一遍上人絵伝」の意味・わかりやすい解説

一遍上人絵伝
いっぺんしょうにんえでん

時宗の開祖一遍の伝記を記した絵巻。2系統あり,1つは聖戒本で 12巻より成る。一遍の近親で法弟でもあった聖戒が詞を書いた国宝,歓喜光寺蔵『一遍上人絵伝 (一遍聖絵) 』はこれに属する。絵は法眼円伊筆と奥書にあるが,彼については不明な点が多い。正安1 (1299) 年の作。絹本着色の精緻な画風で,鎌倉時代の重要な絵巻であり,また文化史上の貴重な資料。他の1つは,宗俊本と呼ばれる 10巻本。第4巻までは一遍の伝記,それ以降は一遍の弟子,他阿真教の伝記を扱うのが特色で,彼の系統が後世栄えたこともあり,広く流布し模本も多い。

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旺文社日本史事典 三訂版 「一遍上人絵伝」の解説

一遍上人絵伝
いっぺんしょうにんえでん

鎌倉後期,時宗の始祖一遍の教化遍歴の生涯を描いた絵巻物
同種のものが多いが,1299年法眼円伊 (ほうげんえんい) 筆の『京都歓喜光寺本』が最もすぐれており,当時の庶民生活や風景および大和絵研究の好資料。

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