三宅庄(読み)みやけのしよう

日本歴史地名大系 「三宅庄」の解説

三宅庄
みやけのしよう

千里丘陵東麓、茨木川と合流するさかい川・丑寅うしとら川の流域に比定され、江戸時代には七小村からなる三宅村があった。「後法興院雑事要録」の文明一一年(一四七九)条に「渡領支配事」として「摂州味舌・三宅両庄」とみえ、摂関家渡領であった。「宣胤卿記」明応六年(一四九七)一〇月一〇日条には関白二条尚基の死を記した後に「渡領所々」をあげ、「味舌三宅同二千四百疋」と記す。味舌ました(現摂津市)は三宅の南西に隣接する地で、味舌庄も摂関家渡領であった。

三宅庄
みやけのしよう

現三宅を荘域とする長講堂領。建久二年(一一九一)一〇月日付の長講堂所領注文(島田文書)に、吉田よしだ庄とともに「吉田三宅庄」と記され、元三雑事などを弁納している。弘長二年(一二六二)のものと推定される中原氏女申状案(東寺百合文書)に、副進文書として「一通 当国三宅庄公文職門注御成敗案一段」とあり、具体的な内容は不明だが、当庄に公文職が設定されており、かつてなんらかの紛争下にあったことが知られる。文永二年(一二六五)の若狭国惣田数帳写には、「三宅庄廿一町七反二百四百(ママ)四十歩」とみえ、肩に朱で「本家長講(堂カ)」と注記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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