三島館跡(読み)みしまたてあと

日本歴史地名大系 「三島館跡」の解説

三島館跡
みしまたてあと

[現在地名]安達町下川崎

三島神社に南接する字三島館山みしまたてやまにあり、当地方が畠山国詮の支配下にあった時代には同社境内地を含めて三島館であったと思われる。国詮の庶長子満国は川崎大将内だいしようじの城を預かり川崎殿といわれた。満国四代の子本宮宗頼は、本家義氏の跡を傍系の新城義国が相続したことに憤り、畠山直系の証拠を示すため、天文一二年(一五四三)に始祖畠山高国の祖廟を大将内に建立して高国こうこく寺と号した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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