安達郡(読み)あだちぐん

日本歴史地名大系 「安達郡」の解説

安達郡
あだちぐん

面積:三八二・三四平方キロ
大玉おおたま村・本宮もとみや町・白沢しらさわ村・岩代いわしろ町・東和とうわ町・安達あだち

中通りの北部に位置する。近世の郡域は現二本松市の全域および福島市・郡山市・伊達郡川俣かわまた町の各一部を含み、総面積六六八・七九平方キロほどになる。古代・中世の安達郡も近世の領域と大差ないものと考えられている。現行の安達郡六町村は旧郡域の中央部を占める二本松市をコの字形に囲むような形をしており、同市の北に安達町、東に東和町・岩代町、南に白沢村大玉村、大玉村の南に本宮町がある。安達町の北は福島市、東和町・岩代町の北・東・南は伊達・双葉・田村の三郡境、白沢村・本宮町・大玉村の南から西は郡山市に接する。旧郡域の中央部を阿武隈川が南から北に貫流し、東部は小起伏の阿武隈高地で最東端の山は阿武隈高地の残丘の一つである。西端は那須山地に属する安達太良山であり、その南東麓には阿武隈川とその支流杉田すぎた川・安達太良川の堆積した本宮盆地がある。本宮盆地の南には郡山盆地の北縁が接している。

「続日本後紀」承和一〇年(八四三)一一月一六日条に「安積郡百姓外少初位下狛造子押麻呂戸一烟、改姓為陸奥安達連」とあり、安積あさか郡の中に安達とよばれる地域のあったことが推定され、延喜六年(九〇六)一月、安積郡が分割されて安達郡が成立した(「延喜式」民部省頭注)。訓は「和名抄」東急本国郡部に「安多知」とある。

〔原始・古代〕

旧石器は大玉村中皿久保なかさらくぼで数点出土しているほか、郡山市熱海あたみ町の六ヵ所ほどから単独出土していて今後の調査が期待される。縄文時代の遺跡は安達太良山南東麓の二本松市から大玉村にかけての丘陵地帯に数多く分布しており、大部分は中期に属する。早期・前期の遺跡は東和町の口太くちぶと山にわずかにみられる。弥生時代の遺跡は数少ないが、大玉村から本宮町にかけての水田地帯に分布しており、今後さらに発見される可能性が高い。古墳・群集墳は大玉村から本宮町にかけて集中しており、中期・後期のものが多い。前方後円墳で象形埴輪や石製模造品を伴うものが六基ほど知られている。

前述のように延喜六年安積郡が分割されて安達郡が成立した。「和名抄」高山寺本に郡名がみえるが郷の記載はなく、同書東急本は小倉おぐら郷以下八郷を記すものの、これは信夫しのぶ郡所属郷の誤記と思われる。一方東急本の安積郡には入野いの以下八郷が記されており、そのうちの入野・佐戸さとの二郷および安達(郷)が安達郡として独立したものと考えられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報