上椹沢村(読み)かみくぬぎさわむら

日本歴史地名大系 「上椹沢村」の解説

上椹沢村
かみくぬぎさわむら

[現在地名]山形市上椹沢・上江うわえ黄金こがね南志戸田みなみしとだ天神台てんじんだい平田へいだ飯塚口いいづかぐち金石田かないしだ柳田やなぎだ砂田すなだ千代田ちよだ中江なかえ西原にしはら

飯塚村の北に位置し、川の東岸平地に立地。西に下椹沢村があり、江戸時代初期には一村であった。最上氏改易後は山形藩領、延享元年(一七四四)幕府領、明和七年(一七七〇)幕府領米沢藩預地、天保一三年(一八四二)再び山形藩領となる。元和九年(一六二三)と推定される椹沢村検地帳(山形県史)によれば、最上氏家臣の武田弥平次(四〇〇石)・里見正右衛門(二〇石)・大泉七右衛門(五〇〇石)・鵜沼九右衛門(三〇石)などが村内を分給されていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

五節舞

日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...

五節舞の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android