上津田村(読み)かみつたむら

日本歴史地名大系 「上津田村」の解説

上津田村
かみつたむら

[現在地名]世羅西町上津田

黒川くろかわ村の北に位置し、津口つくち(現美波羅川)の支流域に展開する農村。東は下津田村平地で接し、津田川(現馬洗川)の水源地でもある。水に乏しいため、盆地の周辺には多くの池が構築されている。弥生中期の金剛寺山こんごうじやま遺跡が盆地内の微高地上にある。南部山中にある字大池おおいけの東方傾斜面からは須恵器の登窯跡(鷺の子窯跡)が発見され、村域内の鶴首つるくび古墳出土の緑色自然釉がかかった須恵器はここで焼かれたものと考えられている。

中世には、下津田村とともに津田郷に属し、元和五年(一六一九)の備後国知行帳には「津田上村」とある。「世羅郡誌」によると文政三年(一八二〇)には実畝八九町一反一二歩のうち、田七三町三反二七歩・畠一四町八反三畝二七歩・宅地九反五畝一八歩で、本途物成は四一二石二斗二升一合、万延元年(一八六〇)には高五石一斗一升三合、村高のうち四四石余は明知で、他は一〇人の給知。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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