上野原宿(読み)うえのはらしゆく

日本歴史地名大系 「上野原宿」の解説

上野原宿
うえのはらしゆく

[現在地名]上野原町上野原

上野原村内に置かれた甲州道中宿駅。江戸からは一八里二七町余の距離で一八宿目、合宿を一宿と数えれば一一宿目にあたり、甲斐国に入って第一宿目。東の相模国小淵おぶち(現神奈川県藤野町)関野せきの宿からは三四町、西の鶴川つるかわ宿まで一八町。関野宿との間、当宿から二五町ほどの小淵村地内に立場があった(宿村大概帳)。甲相国境の鶴川を渡ってしばらく進んだ上野原村の諏訪すわには口留番所(諏訪番所、境川口留番所などという)があり(甲州道中分間延絵図)、同じ諏訪地内、当宿から八町一五間ほど東方には立場茶屋が設けられていた(文政六年「上野原宿方明細書上帳」県立図書館蔵)。宿往還長は三〇町二五間、宿内町並は六町一八間で、宿町は東のしん町と西のほん町に分れていた。


上野原宿
うえのはらしゆく

[現在地名]八王子市上野町うえのまち

八幡はちまん八日市ようかいち両宿の間にある小道を南に二町ほど行った所に位置する。八王子横山十五はちおうじよこやまじゆうご宿のうちで、横山・八日市両宿の加宿。上ノ原とも記される。元禄一五年(一七〇二)の八王子横山宿村鑑(新野家文書)によれば、高三六石余、家数一二のうち本百姓一〇・水呑二、人数四四、馬二、農間渡世(縄筵草履草鞋造)に携わる者一一、千人同心一。寛保三年(一七四三)の横山村内十三組村明細帳(石川家文書)では家数一七のうち本百姓八・借家水呑四・寺五、人数七三。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android