翻訳|diarrhea
小腸,大腸における水と電解質の吸収不良または分泌亢進により糞便の腸内通過が早く,水分の多い液状便を頻繁に排便する状態をいう。したがって便通の回数増加のみで直ちに下痢とはいえない。
下痢は発生要因によって,次のように分類される。まず,腸管内に異常に水分が貯留され,その水分が消化管壁から消化管内へ押し出される場合(分泌性下痢)と引き出される場合(浸透圧性下痢)とがある。
分泌性下痢とは,消化管の炎症充血などによって消化管からの分泌が促進され,腸管からの水分吸収能力を上回った場合である。壁内の常水圧が上昇し,滲出性の病変を起こした場合(腸炎),種々の陰イオンの過剰分泌によって,これに付随して水分が分泌される場合(コレラ),膵臓のランゲルハンス島に生じた腫瘍が消化管ホルモンVIP(vasoactive intestinal polypeptide)を分泌し,腸液分泌を促進させる場合などがある。一方,浸透圧性下痢とは,腸管内の浸透圧を上昇させるような物質が腸管内に存在し,それを希釈するような形で壁から水分が引き出されるもので,塩類下剤などがその代表的なものである。このほか乳糖不耐症(牛乳を飲むと下痢をする例)の下痢もこれに属するものと考えられる。この種の下痢は腸内容が排出されれば下痢は消失する。
次に腸管運動機能異常による下痢がある(過敏性大腸症候群など)。これには,腸管の運動が亢進し腸内容の通過が早く水分が十分吸収されないために腸内水分が増加して起こるものや,腸運動が低下し腸内容が鬱滞(うつたい)し異常発酵によって腸管が刺激されて下痢を起こすものがある(蓄便性下痢)。さらに水分の吸収が十分に行われないために下痢が発生する場合があり,腸の広範切除や絨毛(じゆうもう)萎縮により水吸収障害をひき起こすもの(セリアック症候群)などでみられる。これら下痢の分類については,下痢の持続期間の違いから急性下痢と慢性下痢とに分けることができる。この分類法は,単に持続期間の違いだけではなく,その原因をなしている疾患の性質の違いをも反映しているので,いかなる疾患かを知るうえで有用である。
腸管の感染症として,細菌性(細菌性赤痢,腸チフス,パラチフス,コレラ),ウイルス性(伝染性下痢症,ポリオウイルス,アデノウイルス,エコーウイルス),原虫性(アメーバ赤痢),寄生虫性(急性の日本住血吸虫症,鉤虫症,回虫症)などがあげられる。次いで中毒であるが,食品中毒として細菌性(サルモネラ,腸炎ビブリオ,病原大腸菌),毒素性(ブドウ球菌,ボツリヌス菌,毒キノコ,アルコール等の食品毒物)があり,そのほか薬物下剤(マグネシウム剤),重金属中毒(水銀剤,鉛,ヒ素剤)があげられる。そのほか,食物,飲料水などの過食過飲,または不消化物の摂取による機械的刺激,含有する酸あるいは発生するガスによる腸蠕動(ぜんどう)亢進にもとづく消化不良性下痢も多い。抗生物質使用に起因する下痢も急性の下痢をひき起こす。これは,抗生物質投与により正常腸内細菌叢が破綻(はたん)し,耐性菌の異常増殖により産生される毒素によりひき起こされるものと考えられている。アレルギー性下痢として,一定の食品摂取後下痢をひき起こす特異体質のものがある。そのほか,虫垂炎,傍直腸膿瘍に起因する下痢,腸間膜動脈血栓症,虚血性大腸炎,腸重積症などによる下痢もある。またストレスなどによる機能的障害にもとづく寒冷性下痢,神経性下痢があるが,多くは慢性的にたびたび繰り返されることが多い。
潰瘍性大腸炎,クローン病,結核性腸炎,慢性腸感染症(細菌性赤痢,ウイルス性腸炎,アメーバ赤痢,鉤虫症,日本住血吸虫症,条虫症など),腹部手術後遺症(胃切除,腹部迷走神経切断術,腸切除,消化管吻合(ふんごう)術,腸癒着),腫瘍(大腸癌,大腸ポリポーシス),放射線大腸炎,吸収不良症候群,栄養欠乏状態(ビタミン欠乏症,ペラグラ),結腸性子宮内膜症,膵臓疾患(慢性膵炎,非β細胞性膵島腫瘍),内分泌・代謝異常(アジソン病,甲状腺機能亢進症,尿毒症,糖尿病)などがあげられる。
こうした慢性下痢のなかで最も頻度の高いものは過敏性大腸症候群である。大腸の緊張,運動,分泌亢進などの機能異常により下痢,腹痛,下痢便秘交替,粘液便などを長期にわたってひき起こすもので,下痢を主訴とするタイプ(神経性下痢)が多い。慢性の経過をとるにもかかわらず,一般状態が悪化することなく,とくに食事の摂取後や冷たい飲料水を飲んだ後に下痢がみられることが多い。下痢は心理的な緊張や動揺に一致してあらわれ,種々の自律神経系の失調症状(倦怠感,肩こり,頭重,不眠)を伴っている。慢性下痢のうち,その原因が胃の機能的・器質的障害にもとづくと考えられるものに胃性下痢がある。胃液酸度の減少によりタンパク質の消化が不十分となり腐敗性下痢の原因となると考えられている。しかし老人に多い萎縮性胃炎,無酸症患者が必ずしも下痢を示していない事実から,胃性下痢の概念はややあいまいなものと考えられる。膵液,胆汁,消化管ホルモン分泌の異常,それに伴う運動機能の低下等,胃以外の要因がさらに合併したときにみられるものと考えられる。
下痢の性状で大量の水様便の場合は,小腸または上部大腸の疾患で分泌性下痢のことが多いが,少量ずつ頻繁に排便がある場合は,直腸またはS状結腸など下部大腸に病変がある場合が多い。直腸に強度な炎症(赤痢等)がある際に疼痛を伴った便意が頻繁に起こり,しかも肛門筋肉の痙攣(けいれん)により排出が困難になることがある。これを〈しぶり〉,裏急後重といっている。急性の下痢で発熱を伴うものは細菌感染が考えられる。細菌性下痢では,発熱,頻繁な粘血便,腹痛などが特徴である。また細菌性食中毒では,発熱,下痢,腹痛,悪心,嘔吐を訴え,血便を伴うこともある。これらは,食事と発症との時間的関係,集団発生の有無,糞便および食品からの起炎菌の検出が必要である。糞便検査は,細菌培養,寄生虫検査,潜血反応の検査,糞便中の脂肪滴検査等,下痢の原因を検索するうえでたいせつである。
慢性下痢の原因として最も多いものは機能性下痢(過敏性大腸症候群)であるが,この疾患と大腸癌,潰瘍性大腸炎,クローン病,腸結核などとの鑑別をするためには逆行性大腸レントゲン検査,大腸内視鏡検査が必要で,疑わしい病変があれば内視鏡で組織を採取する(生検)ことによって診断が下される。血液検査で低タンパク血症,血清コレステロールの低下がみられ,栄養状態の低下が考えられる場合は,上記の検査に加えて消化吸収試験などが行われる。また膵臓疾患が疑われる場合は膵臓外分泌検査,逆行性膵管造影,超音波検査,CT検査などが行われ,また上部消化管病変の有無に関してはレントゲン検査,内視鏡検査によって検索される。これらの検査によって器質的疾患の有無を診断することができる。
治療としては,脱水,電解質失調があれば輸液を行い,栄養障害があれば高カロリー静脈栄養を行い,是正する必要がある。心身の安静,食事療法(急性期には絶食し,症状が緩和した後に繊維の多いもの,脂肪食品,香辛料,冷たい飲物,アルコールをさけ,栄養価に富みビタミンの豊富な消化しやすいものを与える)を行う。薬物療法としては,止瀉(ししや)薬のほか,制酸剤,乳酸菌製剤(商品名ビオフェルミン),消化酵素剤,抗生物質,精神安定剤などが使用される。このほか,病因の明確なものにはそれぞれの治療剤として,感染症には抗生物質,寄生虫には駆虫薬,乳糖不耐症にはラクターゼ製剤,潰瘍性大腸炎にはサラゾピリン,プレドニンなどが用いられる。以上のような内科的治療で効果のない劇症型の潰瘍性大腸炎,クローン病,腫瘍に対しては,外科的治療が行われる。また過敏性大腸症候群の場合は,薬物療法以外に心理療法(面接による疾患の理解と自律訓練法)も行われる。
執筆者:福富 久之
下痢を止める薬物をいい,俗に〈下痢止め〉ともいう。下痢が腸内の毒物や刺激物によって起こっているときには,むしろ下剤を用いて排出を促進させるほうがよい。しかし下痢が非常に強い場合は,水分や無機質の損失によって痙攣を起こしたり,中枢神経の興奮を起こして危険である。また持続性の慢性下痢は栄養障害を起こす。したがって,このような下痢については,止瀉薬を用いて止める必要がある。止瀉薬には次のようなものがある。
(1)腸運動抑制薬 アヘンアルカロイド,副交感神経遮断薬,交感神経刺激性整腸薬などがある。アヘンアルカロイドのうち,モルヒネは消化管の緊張を高めて,腸内容物が肛門方向へ移動するのを抑えるとともに,分泌物を減少させる。アヘンは,モルヒネのほか平滑筋弛緩作用をもつパパベリンを含むので強い止瀉作用があり,ゴム質や粘液などの成分が腸管吸収を抑制するため作用時間も長い。アヘン末,アヘンチンキとして用いる。副交感神経遮断薬としては,アトロピン製剤が用いられる。消化管平滑筋の弛緩作用と分泌抑制作用により下痢を止める。ロートエキス,ベラドンナエキスなどがある。交感神経刺激性整腸薬にはゲンノショウコなどがある。
(2)収斂(しゆうれん)薬 腸粘膜の炎症部での血管収縮,タンパク凝固作用によって被膜を形成し,腸分泌液の抑制と粘膜の感受性を低下させ,蠕動運動を抑制する。タンニン酸,次没食子酸ビスマス,次硝酸ビスマスなどがある。
(3)粘漿薬 粘膜や潰瘍部の表面に吸着され薄い膜をつくり,刺激から消化管を保護して運動を抑制させる。トラガント,アラビアゴムなどがある。
(4)吸着薬 腸管内に発生した毒素やガス,異常分解産物,粘液などを吸着し,排出させることによって,刺激を緩和する。薬用炭(活性炭),ケイ酸マグネシウムなどがある。
→乳児下痢症
執筆者:福富 久之+高柳 一成
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 内科学 第10版内科学 第10版について 情報
液状(水様)、泥状、軟便など、水分量の多い糞便(ふんべん)を排泄(はいせつ)することをいう。正常な糞便は円柱状の有形便である。排便回数は、下痢の多くは1日数回で、十数回から数十回に及ぶこともあるが、1日1回あるいは数日に1回の下痢のこともある。下痢は、腸の蠕動(ぜんどう)運動亢進(こうしん)、水分吸収の低下、腸粘膜からの分泌過多などによっておこる。
下痢は便宜上、その持続期間によって2、3日から2週間程度の急性下痢と、1か月以上数年間に及ぶ慢性下痢に分けられる。急性下痢の原因には、細菌感染(赤痢、サルモネラ腸炎、コレラ)、細菌毒素によるもの(ブドウ球菌食中毒)、ウイルス感染(感冒腸炎、旅行者下痢)、原虫症(アメーバ赤痢)などのほか、消化吸収障害(暴飲暴食)、物理的原因(寒冷下痢、放射線照射による下痢)、神経性または情緒性下痢(神経緊張による下痢)などがある。慢性下痢の原因には、細菌感染(腸結核)、原虫症(アメーバ赤痢、ランブリア症)、原因不明の腸炎(潰瘍(かいよう)性大腸炎、クローン病)、消化吸収障害(胃性下痢、吸収不良症候群に属する各種の病気、便秘の一型である蓄便性下痢、過敏性大腸症候群)などがある。
下痢のうちで、1日6回以上の水様下痢の場合には、水分・電解質の喪失を輸液で補充する必要があり、またこのような頻回の下痢は腸感染症によることが多いので、とくに注意を要する。発熱、嘔吐(おうと)、頭痛などを伴う場合にも感染症のことが多いが、反対に感染性下痢においても無熱性の場合もある。下痢に伴う腹痛は排便前に強いことが多いが、排便後にも痛みが残ったり増強する場合や、しぶる(排便感はあるのに排便しない)場合には、より重症の下痢と考えられる。下痢便に血液を混じる場合は、急性感染症では細菌性赤痢、抗生物質使用時の出血性腸炎、腸間膜血栓症、慢性下痢では潰瘍性大腸炎、クローン病、腸結核、アメーバ赤痢のほか、大腸癌(がん)や平滑筋腫(しゅ)など腸の良性腫瘍、大腸ポリープ、大腸憩室などが考えられる。
下痢の治療法は、食べすぎ、寝冷えなどの場合にはその原因をなくし、身心を安静にし、保温に心がける。腸を安静にするために短期間の絶食もよいが、水分はとるようにする。下痢には、有害な腸内容を排出するという自己防衛反応の意味もあるから、みだりに下痢止め薬を用いてはならない。感染性下痢の疑いのある場合をはじめ、血液、膿(のう)汁の混じる下痢や、1、2日で治まらない下痢、1日6回以上の下痢はかならず医師の診察を受け、その指示に従うべきである。
[細田四郎]
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…また小腸切除,短絡,手術によって生ずる盲管(細菌の異常発生),消化管粘膜の分解酵素の欠乏(乳糖不耐症等),炎症性腸疾患,内分泌疾患,放射線障害,過食,ストレス環境下における胃腸の分泌,運動機能低下なども,消化,吸収の障害をひき起こす。これらの症状の多くは下痢,腹痛として表れる。原疾患の治療とともに消化酵素製剤,下痢止めが用いられる。…
…むろん水分のほかに小腸で吸収されずに残った残渣もこれに加わるが,最後に便として排出される量は日本人の場合200~250g程度であり,その80%が水分としてもせいぜい200ml程度の排出量となり,大腸に流入する水分の約90%が吸収されることになる。この水分吸収能が低下すると,水分の含量の多い便が排出されることになり,下痢となる。また便が長く大腸に停滞する(便秘)と,水分が過剰に吸収されて固い便となる。…
…通常は,胆汁中のビリルビンが腸内細菌の作用で還元されて生じたステルコビリンstercobilinにより,黄褐色を呈する。高度の下痢の場合は,ビリルビン還元の時間が不足するため,ビリルビン本来の色である黄色に近づく。肉食が多いと,ヘマチン,硫化鉄などのために黒褐色になる。…
※「下痢」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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