下長庄(読み)しもながのしよう

日本歴史地名大系 「下長庄」の解説

下長庄
しもながのしよう

維摩会漬瓜免田・常楽会免田・雑役免田からなる興福寺領荘園。延久二年(一〇七〇)の興福寺雑役免帳の平群へぐり郡に「下長庄田畠十二町二段」とあり、うち不輸免田畠八町四段の内訳と条里(括弧内は坪数)は漬瓜免田四町が一〇条二里(四)・三里(一)、常楽会免田二町が一〇条三里(一)、一一条一里(一)、勧学院田一町四段が一一条二里(二)、無主位田一町が一一条二里(二)である。公田畠三町八段の条里は一〇条二里(三)、一一条一里(一)・二里(三)である。この条里による所在は現大字下永しもなが辺りである。

寿永二年(一一八三)の興福寺政所下文(内閣文庫蔵)には、興福寺の食堂造営段米の未進について「一慶隆領東北院大納言公下長庄平群郡廿六町五段 所当二石六斗五升内 未進三石九升加利并定」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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