中ノ川村(読み)なかのかわむら

日本歴史地名大系 「中ノ川村」の解説

中ノ川村
なかのかわむら

[現在地名]馬路村馬路 中ノ川

馬路村の北方、安田やすだ川の支流中ノ川流域に位置し、上流川平かわひら村。安政四年(一八五七)の馬路村風土取縮差出控(「馬路村史」所収)に「長三町余、横壱町程、在所ノ内東地ニ小谷一ツ、西地ニ西谷ト申谷有、谷長五町余、右谷々ヨリ用水取掛ケ申候、中ノ川分井関二ケ所有」とある。

天正一五年(一五八七)の安田庄地検帳では東川ひがしごう村分に含まれるらしく記載はない。

中ノ川村
なかのかわむら

[現在地名]檮原町中の川

四万川しまがわ村の東、中の川川に沿う村で、北は伊予国。「中之川」とも書き、天正一六年(一五八八)の津野中之川地検帳には東向こちむき皆当かいとう上官うわかん坂本川さかもとがわ名本なもと萩野はぎの分丸ぶんまる東川ひがしがわいずみ上地坊あげつちぼう萩野々はぎののの諸名がみえ、地積一五町余、ヤシキ三五筆。このうち津野氏直轄地は一四町余で広瀬作衛門ら八人の扣、残りは津野氏家臣森部神助ほか三人の給地と寺院領。

中ノ川村
なかのかわむら

[現在地名]安田町中ノ川

別所べつしよ村の北、安田川支流の中の川川をさかのぼった谷間山腹の村。東は与床よどこ小川おがわの両村、北から西に下山しもやま(現安芸市)中山なかやま郷に属した。天正一五年(一五八七)の安田庄地検帳では「中川村」として一一一筆三町八反三四代を記す。うち切畑が二反一六代で、屋敷数は一六筆。村はすべて中川名で名本は二〇代の屋敷地をもつ藤左衛門。耕地は七反余保有するにすぎないが、ほかは三反以下であるから村内では有力名主であったらしい。

江戸時代における本田高の数値は「南路志」所引の寛永地検帳では二六・三六石とあるが、元禄郷帳以後は三八・三二石となる。

中ノ川村
なかのかわむら

[現在地名]安芸市畑山はたやま 中ノ川・正藤しようとう

畑山北東山間地区で、安芸川支流のはり川上流に中ノ川集落、張川の支流正藤川に沿って正藤集落があり、北東は別役べつちやく村に接する。西に五位ごいもりがあり、畑山村から中ノ川村を経て別役村に至る道が通る。天正一七年(一五八九)の西山五名千光寺山田地検帳に「中川之村」がみえるが畑山名に含まれる。「シヤウトウ」の地名もみえる。

元禄郷帳によると本田高四・九三七石で、「畑山村枝郷」と注がある。「土佐州郡志」は畑山村の小名とし、勝藤四、中之川七と戸数を記す。

中ノ川村
なかのかわむら

[現在地名]南国市中ノ川

黒滝くろたき村の北西にある山村で、黒滝川の最上流域にあたる。「土佐州郡志」は「属本山郷、去高知東北四里、東限黒瀑穴内、西限黒森之篠山、南臨川、北限大嶺、縦三十町許横二十町許、(中略)其土黒」と記す。近世の郷帳類では黒滝村に含まれている。

天正一六年(一五八八)の本山分中ノ川黒滝安名内樫ノ谷地検帳によれば、近世の当村分は内題に「本山郷黒滝分中ノ川谷地検帳」と記され、検地面積三町五反余、うち屋敷は五筆(すべて居屋敷)で三反余、畠二〇代余、切畑三町二反余。名本中川孫八の単独給地で、孫八は名本ヤシキに住み、手作するとともに多くの作人に耕作させていた。

中ノ川村
なかのかわむら

[現在地名]那智勝浦町中ノ川

太田おおた川の中流左岸にある。西は長井ながい村、南西は太田川を挟んで高遠井こうどい村。「続風土記」は「大田川の北小谷の間にあり、此谷の東に井鹿村の谷川あり、西に色川あり、其中にあるを以て中の川といふ」と記す。中野川とも記された。慶長検地高目録では村高五八石余、小物成三斗二升。

中ノ川村
なかのかわむら

[現在地名]佐賀町中ノ川

小黒川こぐろのかわ村の東方山間にある。慶長二年(一五九七)の伊与木村地検帳に伊与木村を構成する一村として「中川村」がみえる。検地面積は三町一反余、屋敷数は九、うち居屋敷四。江戸時代の当村は元禄郷帳によると本田高三〇石余。寛保郷帳では家数一〇、人数五八、馬二、猟銃四。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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