日本大百科全書(ニッポニカ) 「中選挙区制」の意味・わかりやすい解説
中選挙区制
ちゅうせんきょくせい
1選挙区の議員定数が原則として3人ないし5人である選挙区制。理論的には、1選挙区の議員定数が1人であるものを小選挙区制、2人以上であるものを大選挙区制というので、中選挙区制は大選挙区制の一種である。日本の衆議院議員選挙区は、1889年(明治22)の大日本帝国憲法の制定に伴い制定された衆議院議員選挙法に基づく小選挙区制に始まったが、1900年改正法で大選挙区制に改められた。1919年(大正8)改正法でふたたび小選挙区制になったが、1925年改正法では中選挙区制が採用された。これは、従前の1人1区を原則とする小選挙区制と、原則として府県を1選挙区とする大選挙区制に対して、原則として府県を数区に分かち、1選挙区の議員定数を3人ないし5人とする日本独特の制度で、一般に中選挙区制とよばれている。その後1945年(昭和20)改正法における都道府県を1選挙区とする大選挙区制の時期を除いて、1947年の法改正以来1994年(平成6)まで、衆議院議員選挙は中選挙区単記投票制であった(1994年より小選挙区比例代表並立制)。なお、1986年(昭和61)の法改正により、例外的に2人区と6人区が存在した。中選挙区制採用の趣旨は、小選挙区制における多数代表制の弊害をなくして少数代表制の要素を取り入れつつ、他方、大選挙区制における小党派分立のおそれや選挙費用の巨額化などの弊害をなくして、それぞれの長所を生かすことにある。中選挙区制の短所は、同一の政党内で複数の候補者が立候補するため同士討ちが生じやすいこと、選挙が政党本位よりも個人本位のものになりやすいことなどの指摘がある。
1996年(平成8)10月、日本で初めての小選挙区比例代表並立制による総選挙が行われた。自民党は前議席(211議席)を上回る239議席を獲得したが、これはおもに小選挙区での議席獲得によるものであった。選挙結果として投票が議席に反映しない「死票」が多くなり、得票数と議席数の乖離(かいり)が大きくなったこと、かならずしも政党・政策本位の選挙とはならず、候補者中心のサービス競争や利益誘導型選挙運動がいっそう激しくなった面があることなどから、中選挙区制復活を含む選挙制度改革議論がふたたび始まった。
[三橋良士明]