九十九曲城跡(読み)つづらくまじようあと

日本歴史地名大系 「九十九曲城跡」の解説

九十九曲城跡
つづらくまじようあと

[現在地名]飯高町粟野 九十九曲

粟野あわのの東の口を九十九曲と称し九十九曲の集落の西、蛇行する櫛田くしだ川に東・西・南を囲まれた標高二四〇メートルの山地頂部に城跡がある。「五鈴遺響」には「北畠家臣粟野半六郎真善院名録ニ載タリ」とある。天正五年(一五七七)北畠具親挙兵の際、川俣かばた谷の侍五〇人ばかりが一味同心して具親に味方したが、九十九曲城も東の閼伽桶あこう城とともに織田方の日置大膳亮兄弟によって攻め落された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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