日本大百科全書(ニッポニカ) 「九鬼氏」の意味・わかりやすい解説
九鬼氏
くきうじ
南北朝~安土(あづち)桃山時代に、志摩(しま)・伊勢(いせ)を中心に水軍として活躍した豪族。先祖は紀伊(きい)熊野八庄司(くまのはちしょうじ)の一つ、出身地は九木浦(三重県尾鷲(おわせ)市九鬼町)とされる。当初は志摩国英虞(あご)郡波切(なきり)(三重県志摩市大王(だいおう)町波切)を拠点とし、さらに加茂(かも)郷田代(たしろ)城(三重県鳥羽(とば)市)に移って、伊勢にも勢力を伸ばした。1569年(永禄12)、当主嘉隆(よしたか)は、伊勢攻略に乗り出した織田信長の下に属し、以後1574年(天正2)の伊勢長島一向一揆(いっこういっき)の鎮圧、石山本願寺攻撃における1578年の木津川口での毛利(もうり)水軍との戦いなどで活躍、鳥羽城3万5000石の主となった。信長死後は豊臣秀吉(とよとみひでよし)に属して、四国・九州征討、朝鮮侵略などで功をあげた。関ヶ原の戦いでは、嘉隆は西軍に属し自害したが、子の守隆(もりたか)は東軍に属し、その功により2万石の加増を得た。その子の代に摂津三田(さんだ)(兵庫県三田市)3万6000石と丹波(たんば)綾部(あやべ)(京都府綾部市)2万石とに分封され、明治に至った。1884年(明治17)ともに子爵となった。
[池 享]