朝日日本歴史人物事典 「亀寿」の解説
亀寿
生年:元亀2.4.26(1571.5.19)
安土桃山・江戸時代初期の武家の女性。父は島津義久,母は種子島時尭の娘。島津家久(忠恒)の妻。夫家久は父義久の従兄弟島津義弘の子。義弘は天正19(1591)年豊臣秀吉に高麗への渡海を命じられ,渡海しない一族家臣の者も妻子を大坂,次いで京都に置くよう指示された。この苦労に対し,亀寿には慶長4(1599)年義弘から薩摩国串木野村(鹿児島県串木野市)など5000石の地が,翌年父義久から大隅国大根占村(鹿児島県大根占町)2700石余の地が無公役として与えられた。のちには高1万石を一代無公役とされたようである。「人質」の立場に置かれながら,京都からさまざまな情報をもたらし,島津氏の近世大名への転身に貢献した。<参考文献>『島津家文書』
(田端泰子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報