改訂新版 世界大百科事典 「二重構造モデル」の意味・わかりやすい解説
二重構造モデル (にじゅうこうぞうモデル)
日本人の形成史について,埴原和郎により1991年に提唱されたモデル。もともと日本列島には後期旧石器時代に南東アジア系の集団が流入し,その子孫として縄文人が生み出された。その後,弥生時代から7世紀ころにかけて北東アジア系の集団が日本列島に渡来し,大陸の高度な文化をもたらすとともに,在来の南東アジア系縄文人集団に強い遺伝的影響を与えた。日本列島内でこれら両集団の混血が現在も進行中であり,日本人はいわば基層集団である南東アジア系集団の上に北東アジア系集団が重なったような二重構造を今も保っている。現代日本人に見られる身体形質や文化に見られる地域性,東西差などは,従って弥生時代を契機に流入した北東アジア系集団の影響の大小によるところが大きく,日本列島の両端に居住するアイヌと琉球人の身体形質が類似するのも,共に南東アジア系集団を祖先とし,しかも本土人に比べて北東アジア系集団の影響が極めて少なかったためである,というのがこのモデルの骨子である。従来の諸研究を集約して日本人の形成史を簡潔に説明するモデルとして一定の評価を受けている。しかし,その後の研究により,縄文人の形成に大陸北部集団の関与を示唆する分析結果が出され,琉球人についても,アイヌと同系視することへの疑問や,中世期以後に本土集団の影響が強まったことが明らかにされるなど,単純化しすぎているとの批判や一部修正する必要性も指摘されている。
→日本人
執筆者:中橋 孝博
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報