井尻保(読み)いじりほ

日本歴史地名大系 「井尻保」の解説

井尻保
いじりほ

現伯太町の南部に所在した庄園。文永八年(一二七一)一一月日の杵築大社三月会相撲舞頭役結番帳の八番に「井尻保十一丁宇津木十郎」とある。宇津木十郎は承久三年(一二二一)六月一四日の宇治川合戦で戦功を上げており(吾妻鏡)、承久の乱の恩賞として井尻保を獲得したいわゆる新補地頭であった。宇津木氏の活動は一六世紀半ばまでは確認できるが、井尻八幡宮の棟札によると元亨元年(一三二一)の地頭として「山田七郎入道重賢」の名がみえる(井尻村史)。山田氏は清和源氏の一流で尾張国山田やまだ(現愛知県名古屋市)名字の地とするが、鎌倉後期には北条得宗家の家臣となっている。また暦応二年(一三三九)には井尻保地頭として二条殿僧正坊道承(三分の二地頭)鶴見刑部左衛門尉(三分の一地頭)がいた(同年五月日「二条殿僧正坊道承雑掌幸承申状」東寺百合文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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