都市,宮殿,神殿,家屋,橋などの建設に当たり,その基礎に人間を生埋めなどの形で供犠する習俗を人柱と呼ぶ。個々の事例については,果たして実際に行われたのか,それとも単なる伝承にすぎないのか不明なこともあり,また人柱には,生きている人間の代わりに,動物や人形などを供犠する傾向が広く見られる。人柱の習俗や伝説の分布は,アジア,ヨーロッパ,アフリカに多く,オセアニアの一部にあるが,アメリカ大陸では北米北西海岸以外の地域では欠如し,オーストラリアにもない。文化のレベルからいうと,採集狩猟民のところではきわめてまれであり,未開農耕民においては散発するが,国家や都市をもつ伝統的な高文化社会にことに濃密に分布している。これは人身供犠一般の分布状態とも一致している。
アジアでは,たとえば朝鮮の李朝の中宗王23年(1528)に慶尚道尚州において,住人成同の隣家の子どもたちが突然失踪する事件があった。調べてみると,成同が家を建てるとき,子どもたちを埋めて厄除けにしていたことが発覚した。中国では漢代に東郡太守の王尊が黄河の堤防が切れたときに,はじめ白馬や珪璧(けいへき)を供犠したが,最後には自身を基礎に埋めて堤防を修復しようとした。ボルネオのミラナウ族は,かつては長大家屋の第一の柱で女奴隷を突き殺し,その死体にこの柱を突き立てたという。しかし,インドネシアの多くの民族では,人身供犠の代用物が用いられ,ジャワのスンダ族では,新築家屋の基礎の下には,水牛の頭や,ヤギや鶏を埋める。南インドでもかつては建築儀礼において人間を殺すことが多かったが,現代では寺院の建立に際しては,人間や人間の頭の代わりにココヤシの実を一つ基礎の下に埋める。ヨーロッパにも人柱の習俗や伝説は多い。むかしコペンハーゲンのまわりに城壁を築いたとき,作るたびに倒壊した。そこで人々は一人の罪のない少女をつれてきて,机に向かって椅子に腰をかけさせ,玩具と食物を与えた。少女が楽しそうに遊んだり食べたりしている間に,12人の大工が少女の上にアーチをつくり,にぎやかに音楽を奏しつつ城壁を建てたところ,それ以来この城壁はこわれなかった。アルバニアのエルバサンの知事が1850年にエルザン川の激流に新しい橋をかけさせたとき,橋を堅固にするために,12匹の羊を殺し,その頭を柱の礎の下に埋めた。アイルランドでは,家の下から馬の頭蓋骨が出てきたことがある。中世ローマでは古い人像を床下に埋める習慣があった。アフリカのガラムではかつて,町の正門の前に少年少女を一人ずつ生埋めにして,敵に町が占領されないようにした。ニュージーランドのマオリ族は,かつては柱穴に人を入れて柱を落としてつぶし殺したという。人柱は,特定の神格に対しての供犠というよりも,埋められた死者自身が,その建造物を保護するという観念をあらわす場合のほうが多い。
→犠牲 →建築儀礼
執筆者:大林 太良
日本でも橋や堤防の難工事に際して,人間を生埋めにして水神に祈ったので,工事が完成し,後に,埋められた人を神にまつったという伝説がある。この場合も,実際に人身供犠として行われたかどうかは明確ではない。人柱の伝説として人口に膾炙(かいしや)している長柄(ながら)橋の伝説では,橋の工事をしているとき,通りかかった子連れ夫婦のうち男のほうが,人柱になる者は袴に白い布をつけている者がよいと口走ったところ,偶然その男に縫いはぎがあり,人柱の目印であるということになり,父と母と子が人柱にさせられてしまった。その後母と子は橋の守護神にまつられたとされている。柳田国男は,日本の人柱には,子どもを連れた女性の場合が多いことに注目し,水神に仕える巫女の姿を想定し,世界的な母子神の存在を指摘した。一方南方熊楠は,人柱が実際にあっても異常ではないことを,世界の諸民族の実例から説いているが,両者とも結論がでていない。建築儀礼や造船儀礼にも人柱の要素を示すモティーフがあり,今後の比較研究の必要性をものがたっている。
→橋姫
執筆者:宮田 登
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
大規模な建築工事や堤防工事などの難事を成し遂げるため、生きた人間を神へ捧(ささ)げ物とすること。神の加護を得るため、あるいは工事が行われる場所にまつわる穢(けがれ)を祓(はら)うための人身供犠(じんしんくぎ)の一種と考えられる。日本やヨーロッパで、橋や建物の土台や壁の中に人間を埋めたという伝説が多くあり、実際に人骨が発見されることもあるが、それが伝説にすぎないのか実際に行われたのかの判別はつきにくい。『日本書紀』仁徳(にんとく)天皇11年条には茨田堤(まんだのつつみ)を築く話がある。堤が崩れ工事は難航した。そのとき神が夢のなかで天皇に、2人の人間を名指し、2人を河神に捧げれば工事は成功すると告げた。1人は河で水死し、1人は自分の才覚でいけにえになることを逃れた。その結果この工事は成功したと述べている。
九州や東北地方の各地には、神社建築や船の建造にあたった大工が技術的な困難に直面したとき、その娘が解決法を教え無事に仕事を成就した。しかし、娘の口から自分の恥が、あるいは技術上の秘密が漏れることを恐れた大工は娘を殺してしまうという伝説があり、これも一種の人柱伝説といえよう。おそらく、実際には人柱をたてることは行われなかったであろうに多くの人柱伝説が存在する理由は、工事は危険を伴い人身事故が多発したことと、祟(たた)り神信仰の流布とが相まって人柱伝説を生んだのだと考えられる。
[波平恵美子]
(川口正貴 ライター / 2009年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…建築儀礼は定住的な農耕民文化,ことに古代文明とその影響圏においてさかんである。 建造物をきよめたり祝福するために人間を殺す習俗(人柱)や伝承は,ヨーロッパから東アジアにかけての旧大陸の古代文明地域とその周囲,西アフリカ,メラネシア,ポリネシアに分布するが,アメリカ大陸では北米北西海岸を除いては見られないようである。ボルネオのミラナウ族は大家屋を建てるとき,深い柱穴を掘って奴隷娘を1人その中に入れ,その上に柱を落として殺し,精霊への犠牲にした。…
…そのために橋のたもとで,水神をまつり,水神の加護を必要とした。橋工事の最中に人柱(ひとばしら)をたてたという伝説は,〈長柄(ながら)の人柱〉の故事で知られるが,一般に橋のたもとに女神がまつられ,悪霊を防ぎ,橋を加護するという信仰があった。実際に人柱をたてたというより,橋のたもとで,水神をまつる巫女のイメージが,橋姫伝説を生み出したとする説が有力である。…
…それが男女であったために安産や小児の健康を祈る神ともされ,母子神信仰のような形態の伝説が生まれ,一方で神の威力を意味したネタミが,嫉妬の意味に限定され,嫉妬深い鬼女の伝説ともなったとされる。さらに長柄の橋姫のように,橋を造る時の人柱(ひとばしら)を橋姫としてまつるとする伝説もある。これらの伝説は水辺の祭りをつかさどった巫女たちによって管理され伝播されたのではないかと考えられている。…
※「人柱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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