伊丹(読み)イタミ

デジタル大辞泉 「伊丹」の意味・読み・例文・類語

いたみ【伊丹】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「伊丹」姓の人物
伊丹十三いたみじゅうぞう
伊丹万作いたみまんさく
伊丹安広いたみやすひろ

いたみ【伊丹】[地名]

兵庫県南東部の市。「丹醸の美酒」と称されてきた清酒の産地。隣り合う大阪府豊中市との間に大阪国際空港がある。人口19.6万(2010)。

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精選版 日本国語大辞典 「伊丹」の意味・読み・例文・類語

いたみ【伊丹】

  1. [ 1 ] 兵庫県南東端の地名。西国街道および猪名川に沿う交通の要所で、中世は伊丹、荒木氏の城下町。荒木氏が織田信長に滅ぼされて後は幕府領近衛家領地。伊丹酒が知られ、大阪国際空港がある。昭和一五年(一九四〇)市制。
  2. [ 2 ] 〘 名詞 〙
    1. 伊丹風俳諧。また、その派の俳人
      1. [初出の実例]「この此(ごろ)伊丹の句に、彌兵へとはしれど」(出典:俳諧・去来抄(1702‐04)先師評)
    2. いたみざけ(伊丹酒)」の略。

いたみ【伊丹】

  1. 姓氏の一つ

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日本歴史地名大系 「伊丹」の解説

伊丹
いたみ

平安後期からみえる地名。猪名いな川西岸の江戸時代の伊丹郷町を中心とする地域にあたる。「山槐記」治承四年(一一八〇)一一月二三日条に「伊多美武者所」某とみえ、すでに地名として成立していたと考えられる。嘉元元年(一三〇三)九月一五日の比丘尼真阿・出雲国守連署田地寄進状(多田神社文書)に「摂津国伊(丹)村」とあり、同村内の二段の田が多田ただ(現川西市)の毎月二七日法花経田として寄進されている。たちばな御園から勝尾かつお(現大阪府箕面市)に上納された年貢を記した嘉元二年一二月一七日の裏書をもつ寄進米上日記(勝尾寺文書)には、異筆ではあるが同村分の寄進米として八斗七升余(代銭六一〇文)が記され、同村は御園内にあった。

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改訂新版 世界大百科事典 「伊丹」の意味・わかりやすい解説

伊丹[市] (いたみ)

兵庫県南東部,大阪府豊中市に隣接する大阪の衛星都市。1940年伊丹町と稲野村が合体,市制。人口19万6127(2010)。江戸時代初期に酒造の中心として発展,一時は江戸市場を支配する勢いであったが,のち灘の酒におされて衰退した。1899年,猪名川沿いに福知山線が全通,1920年には阪急伊丹線が開通して都市化が始まった。初期は工業化が尼崎の工場地帯の延長として先行し,猪名川西岸の低地に機械,化学,繊維などの工場が立地した。住宅都市化は阪急電鉄の宅地開発が契機となったが,人口が急増するのは昭和30年代に入ってからで,旧市街の西や北の段丘面の開発が急速に進んだ。猪名川西岸の標高30~100m以下の段丘面は,猪名野(稲野)と呼ばれた水田地帯で灌漑用の溜池が多く,最大の昆陽(こや)池は天平年間(729-749)ごろ僧行基が築造したと伝えられる。豊中市との境にある大阪国際空港(通称,伊丹空港)は,1937年に逓信省の飛行場として建設され,59年に第1種空港に指定,改称された。市街地に近接しているため騒音が深刻な問題となっている。94年,関西空港の開港にともない伊丹空港は国内線専用空港となった。95年の阪神・淡路大震災では死者19名,全半壊家屋9600棟という被害を受けた。
執筆者:

近世は摂津国西摂平野中央に位置する在郷町で,酒造特産地として発展した。鎌倉末から伊丹氏,1574年(天正2)から荒木村重,79年村重が織田信長に敗れた後,信長の部将池田恒興の嫡子之助が4年間いた城下町で,東中央の城の西に侍町,町人町があり,全体を水路,藪などが囲み〈総構〉の跡を残す。1669年(寛文9)の伊丹郷絵図でも短冊形の町割りが認められる。豊臣領,幕府領をへて1661年伊丹村とほか10ヵ村1402石3斗が近衛家領となり,伊丹は部分的変動はあるがおおむね幕末まで近衛家領であった。1617年(元和3)駅所を公認され,また幕府領年貢米の蔵所として年貢米の集散地となり,すでにあった伊丹酒造の発展を原料,運送の面で助けた。伊丹諸白(もろはく)は江戸積みが多い。割木,柴,むしろ,木綿を売買する十二斎市もあり周辺農民の市場でもあった。17世紀末には店舗商業も多かったと推定され,文禄年間(1592-96)15町,寛文(1661-73)ごろ17町,元禄(1688-1704)ごろ24町,享保(1716-36)ごろ27町となり,以後町数は固定した。江戸初期の町政は惣町を統轄する3人の総年寄と各町の庄屋または年寄が担当したが,酒造家年行司となる24名が1697年惣宿老格として近衛家領全体の各町村庄屋の上に立つようになり,その一人は御金方として年貢銀,酒造冥加銀出納をつかさどり,江戸後期には全国的な大名貸をし,その利息で近衛家家計を助けた。酒も灘五郷酒の江戸進出に圧迫され,周辺農村からの物資の集散も大坂問屋や尼崎藩の保護する城下町尼崎商人に吸収されたりして伊丹の経済は停滞するが,酒屋の干粕,繰綿屋,油絞り屋の油粕,油などの肥料,貸銀・信用を農村に提供し,その物資を集中させた。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「伊丹」の意味・わかりやすい解説

伊丹(市)
いたみ

兵庫県南東端にある大阪市の衛星都市。1940年(昭和15)伊丹町と稲野(いなの)村が合併して市制施行。1947年(昭和22)神津(かみつ)村を編入。JR福知山線(ふくちやません)、阪急電鉄伊丹線、中国自動車道、国道171号が通じる。猪名(いな)川、武庫(むこ)川がつくる沖積台地猪名野に位置し、奈良時代に僧行基(ぎょうき)が灌漑(かんがい)用の昆陽池(こやいけ)を掘り、昆陽寺を建立。緑ヶ丘には7世紀後半建立の伊丹廃寺跡(国指定史跡)がある。戦国時代には加藤氏、伊丹氏の城下町。そののち荒木氏が城主となり、伊丹城は有岡城と改められた。織田氏の有岡城攻略後、江戸時代には天領、近衛(このえ)家領となった。慶長(けいちょう)年間(1596~1615)には100以上の酒倉が建ち並ぶ酒造地で、猪名川の水運で各地に酒が送られた。

 1920年(大正9)阪急伊丹線が開通、紡績、化学、電機などの工場が進出した。1959年には伊丹空港が拡張され、大阪国際空港となった。大阪府の豊中(とよなか)市、池田市との境にあるが、空港面積の70%が伊丹市にある。酒造業のほか、電機、機械、食品、化学、製薬などの工場がある。市の北部は造園用の苗木、植木の産地。俳人鬼貫(おにつら)の生地で、猪名野神社に句碑がある。伊丹廃寺跡の出土品、酒造道具を展示する市立伊丹ミュージアムがある。面積25.00平方キロメートル、人口19万8138(2020)。

[藤岡ひろ子]

『『伊丹市史』全7巻(1968~1973・伊丹市)』


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百科事典マイペディア 「伊丹」の意味・わかりやすい解説

伊丹[市]【いたみ】

兵庫県南東部の市。1940年市制。大阪平野西部の武庫川流域を占め,古くは猪名野といい,行基築造という昆陽池など溜池(ためいけ)が多く水田が広がる。中心市街は伊丹氏の城下町,近衛家領として発達,福知山線,阪急伊丹線開通後,機械器具・繊維・化学工業などが進出して尼崎市に続く工業地域となった。精密機械の工場も立地し,光ファイバーなどの先端技術の開発も盛ん。大阪市の衛星都市化も進んだ。近衛家の奨励後発展した酒造が活発,野菜・果樹・苗木栽培も盛ん。昆陽寺,大阪国際空港があり,福知山線,阪急電鉄,中国自動車道が通じる。1995年1月の兵庫県南部地震では死者19人,倒壊・焼失家屋8570戸の被害をうけた。25.00km2。19万6127人(2010)。
→関連項目樽廻船灘五郷

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旺文社日本史事典 三訂版 「伊丹」の解説

伊丹
いたみ

兵庫県南東部にある市。近世初頭から酒造地として有名
中世は荘園として細川家に属した。上等の酒を産したが,江戸中期から発達した灘酒に圧倒された。

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