伊倉北方村(読み)いくらきたがたむら

日本歴史地名大系 「伊倉北方村」の解説

伊倉北方村
いくらきたがたむら

[現在地名]玉名市伊倉北方いくらきたかた

菊池川(高瀬川)左岸台地にあり、北は立山たてやま村・桃田ももだ村、西は千田河原せんだかわら村、南は伊倉南方いくらみなみがた村に接する。元亨元年(一三二一)三月三日の阿蘇社進納物注文写(阿蘇家文書)の「こん大くうしはうとり申候初米所々」のうちに「いくら」がみえ、田作祭料を納めていた。年月日未詳の前中後欠の阿蘇社年中神事次第写(同文書)にも田作祭料として「井倉」がある。康暦元年(一三七九)五月二日の足利義満下文(大友家文書録)に「伊倉庄北方」とみえ、勲功の賞として筑後国生葉いくは(現福岡県浮羽郡吉井町)の替りに大友親世に宛行われた。永徳三年(一三八三)七月一八日の大友親世当知行所領所職注文案(同文書録)にも同様に記される。応永一三年(一四〇六)月欠三日の宇佐公美寄進状(清源寺文書)では「伊倉保北方惣領本領之地」のうち「浜外新開号崇玄新開」が重ねて高瀬清源たかせせいげん寺へ寄進されている。弘治二年(一五五六)頃と推定される六月二三日の戸次伯耆守立花鑑連宛大友義鎮知行預ケ状(立花文書)には「伊倉之内小原遠江入道跡」の「北分六町」がみえ、はま分六町などとともに豊後国宇目うめ(現大分県南海部郡宇目町)の代所として預け置かれている。なお「玉名郡誌」は天喜三年(一〇五五)に「水田十五町、伊倉北方、中分、東分、伊倉南方村」が報恩ほうおん寺に寄進されたと記す文書を所載するが検討の余地がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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