佐藤 タ子(読み)サトウ タネ

20世紀日本人名事典 「佐藤 タ子」の解説

佐藤 タ子
サトウ タネ

明治〜昭和期の教育者 佐藤学園理事長



生年
明治8年3月7日(1875年)

没年
昭和28(1953)年11月22日

出生地
群馬県碓氷郡

別名
別名=タネ子

学歴〔年〕
東京裁縫女学校速成科〔明治34年〕卒

主な受賞名〔年〕
文部大臣表彰〔昭和28年〕

経歴
父は小学校校長も務めた神職であったが、家計は苦しく、彼女も小学校卒業後に家の農業を手伝った。明治28年呉服商の息子と結婚し、一子をもうけるが、夫の放蕩のため32年に離婚。33年東京裁縫女学校速成科に入学し、34年優秀な成績で卒業すると同時に中等教員の免許を取得した。のち静岡県の高等女学校などで教えるが、女性の自立を支援する独自の教育を志し、39年郷里群馬県高崎市に私立裁縫女学校を開校。以来、自由の理念に基づいた教育をすすめ、学校の経営と発展に尽力。40年に私立佐藤裁縫女学校に改称した同校は、のちには裁縫のみならず総合的な学科や師範科も設置し、昭和18年には財団法人佐藤学園の認可を得た。戦後は学制改革により佐藤技芸高等学校へと発展。その間、同学園の校長・理事長・名誉校長を歴任し、28年には多年にわたる教育への功労により文部大臣表彰を受けた。同学園は高崎商科大学・高崎商科大学付属高校などを含む学校法人佐藤学園として現在に至っている。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐藤 タ子」の解説

佐藤タ子 さとう-たね

1875-1953 明治-昭和時代の教育者。
明治8年3月7日生まれ。東京裁縫女学校(現東京家政大)を卒業し,明治39年群馬県高崎に佐藤裁縫女学校(現佐藤学園高)を設立女子の教育につくした。昭和28年11月22日死去。78歳。群馬県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

五節舞

日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...

五節舞の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android