佐藤玄々(読み)サトウゲンゲン

デジタル大辞泉 「佐藤玄々」の意味・読み・例文・類語

さとう‐げんげん【佐藤玄々】

[1888~1963]彫刻家福島の生まれ。本名、清蔵。別号朝山山崎朝雲師事日本美術院同人。フランスブールデルに学び、木彫新生面を開いた。

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精選版 日本国語大辞典 「佐藤玄々」の意味・読み・例文・類語

さとう‐げんげん【佐藤玄々】

彫刻家。本名清蔵。旧号朝山。福島県出身。宮彫師であった父から木彫技法を学び、上京して山崎朝雲に師事する。日本美術院同人。フランスに留学し、ブールデルに学ぶ。日本の伝統である木彫技法と西洋近代彫刻との融合に努力した。芸術院会員代表作「天女像」「牝猫」。明治二一~昭和三八年(一八八八‐一九六三

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「佐藤玄々」の意味・わかりやすい解説

佐藤玄々
さとうげんげん
(1888―1963)

彫刻家。福島県相馬(そうま)郡中村町(現相馬市)に生まれる。本名清蔵、旧号朝山(ちょうざん)、第二次世界大戦後、玄々、阿吽洞(あうんどう)を号した。幼時から宮彫(みやぼり)師の父や伯父に木彫を習い、1904年(明治37)上京して山崎朝雲(ちょううん)の内弟子となる。14年(大正3)再興日本美術院第1回展に『呪詛(じゅそ)』などを出品して日本美術院同人となり、以後、院展木彫の主要な存在として豊満で官能的、神秘的な作品を発表した。22年美術院からフランスに派遣され、ブールデルに師事した。24年帰国後は院展に『ベコ』『牝猫(めすねこ)』などを発表した。35年(昭和10)帝国美術院会員となり、翌年の第1回帝展に『八咫烏(やたがらす)』を出品、39年には紀元二千六百年記念『和気清麿朝臣(わけのきよまろあそん)像』を制作した。仏像置物の制作を多く手がけ、晩年には、東京三越(みつこし)本店の大作『天女像』(1960)を完成した。代表作に『シャクンタラ姫とドウシャンタ王』(1915)などがある。

三木多聞

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐藤玄々」の解説

佐藤玄々 さとう-げんげん

佐藤朝山(さとう-ちょうざん)

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