自衛措置のような正当な理由もなしに,武力攻撃によって他国領土を剝奪すること。何をもって侵略行為とするかの具体的な内容を明示することは困難な問題である。侵略側は決まって,自己の侵略行動を否定したり,また自衛や勢力均衡の保持のためなどとして正当化したり,あるいは被侵略側に責任を転嫁したりする。後述のように国連の安全保障理事会は,武力紛争が発生した場合,どちらが侵略国で,どちらが被侵略国(自衛権行使国)であるかを認定できることになっているが,その認定は事実上,政治的要素や拒否権の発動によって容易ではない。
戦勝国と敗戦国の場合は,侵略側,被侵略側の認定は明確にされる。たとえば,第2次大戦後のニュルンベルク裁判や東京裁判ではドイツや日本が侵略国とされ,平和に対する罪に問われた。
一般的に,侵略側は過去の侵略行為を忘れがちであるが,被侵略側はその意識構造に深く刻み込んで,その体験は容易に消えない。今日アジア諸国人民が日本の軍事的侵略の危機や経済侵略を批判するのは当然といえよう。侵略側が過去の侵略を正当化することは,現在および将来の侵略を正当化することになる。たとえそれが典型的な侵略戦争であっても,政治的・経済的・軍事的支配層は過去および現在においてその正当化を試みようとする。これに対する国民の意識構造がいかなる侵略の論理をも否定しない限り,再び侵略の可能性がある。
第2次大戦後,米ソ冷戦の激化を反映して,武力行使による直接侵略とは別に間接侵略が問題となってきた。西側(とくにアメリカ)は,ソ連が他国の共産党をとおして政府の転覆をはかったり,革命を指導しているとし,それをソ連の間接侵略として非難した。しかし,1954年のグアテマラのアルベンス政権の転覆事件をはじめ,アメリカの間接侵略といえるものも多い。間接侵略の定義も著しく政治的なものである。間接侵略には,政府転覆のほかに宣伝行為,経済的浸透,反体制側への軍事援助などがある。なお,日本の自衛隊法にも,自衛隊は〈直接侵略及び間接侵略に対してわが国を防衛することを主たる任務とし〉(3条1項)と明記してある。今日のように内戦が国際化しやすい状況では,内政干渉と同時に間接侵略の問題も重要となろう。
執筆者:星野 昭吉
第1次大戦後国際連盟規約,不戦条約等により戦争が違法化されてくるにつれ,侵略は戦争禁止に違反する武力行為であるとされ,国際社会の法益を侵害する国際違法行為,国際犯罪として制裁の対象とみなされるようになった。侵略を定義する企ては,1923年相互援助条約案,1924年ジュネーブ議定書,1928年プラハ覚書等にみられるが,これに関して成立した唯一の条約は1933年ソ連が近隣11ヵ国と結んだ〈侵略の定義に関する条約〉(侵略定義条約と略称)だけであった。武力の行使や武力による威嚇を一般に禁止した国際連合の下でも侵略の定義が求められた。国連憲章にその定義が与えられていないため,第5総会(1950)以来この問題が取り上げられ,第22総会(1967)において設置された〈侵略の定義に関する特別委員会〉の7年にわたる審議を経て作成された〈侵略の定義〉が第29総会(1974)において採択された。この定義は,侵略を〈国家による他の国家の主権,領土保全もしくは政治的独立に対するまたは国際連合の憲章と両立しない他の方法による武力行使〉とし,具体的侵略行為を3条に列挙している。それらは,国家の軍隊による(1)他国領土に対する侵入や攻撃,その結果としての軍事占領や併合,(2)他国領土に対する砲爆撃や兵器の使用,(3)他国の港や沿岸の封鎖,(4)他国の陸・海・空軍または船隊や航空隊に対する攻撃のほか,(5)駐留軍の受入れ国との合意に反する使用や合意終了後の駐留継続,(6)第三国に対する侵略行為のために自国領土の使用を許容する行為,(7)上記諸行為に相当する重大な武力行為を他国に対して実行する武装集団,団体,不正規兵,傭兵の派遣やかかる行為への実質的関与,である。ただし,3条の列挙は,とくに植民地体制下の人民が自決のために闘争し,支援を受ける権利を害するものではない。これらの列挙は網羅的なものではないので,安全保障理事会は憲章の規定の下で他の行為をも侵略と決定することができる。また,国家による国連憲章違反の軍隊の先制使用は〈侵略行為の一応十分な証拠〉を構成するが,安全保障理事会は他の関連状況に照らして,これを侵略でないと結論することができる。つまりこの定義は,同理事会による憲章39条の下での侵略行為の認定のためのガイドラインとしての性格をもつ。なお,この定義において,侵略は国際責任を生ぜしめる。
執筆者:藤田 久一
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侵略が国際法上で重要な概念となったのは、20世紀になって戦争が違法とされるようになってからのことである。第一次世界大戦後のベルサイユ条約で、連合国がドイツおよびその同盟国の「攻撃(aggression)ニ因(よ)リテ強ヒラレタル」戦争の結果、被ったいっさいの損害について責任がドイツおよびその同盟国の側にあると規定された(第231条)のは、その最初の例である。
国連憲章は、安全保障理事会が侵略行為の存在を決定し、それに対処するため勧告または強制措置をとることとしているが(第39条)、侵略そのものについては定義をしていない。1933年にソ連が近隣諸国との間に侵略定義条約を締結したことはあるが、国際社会一般ではこの種の条約は結ばれていない。しかし、国際連合では1950年の第5回総会以来、侵略の定義が問題として提起され、53年にはそのための特別委員会が設置されて、検討が続けられた。その結果、1974年に国連総会で「侵略の定義」と題する決議が採択されている。
この国連総会決議は、「侵略とは、この定義に定められているように、一国が他国の主権、領土保全もしくは政治的独立に対して武力を行使すること、又は国際連合憲章と両立しない他のいずれかの方法により武力を行使することをいう」(第1条)と規定し、「憲章に違反して武力を最初に行使することは侵略行為の明白な証拠となる」(第2条)としている。それに続いて決議は侵略行為を例示し、一国の軍隊による他国領域への侵入もしくは攻撃、軍事占領や領土併合、他国の領域に対する爆撃や武器の使用、軍隊による他国の港もしくは沿岸の封鎖、他国の陸・海・空軍または商船隊・航空隊に対する攻撃のほか、他国に駐留する軍隊を所定の条件に違反して使用することや、所定の期間後も撤収しないこと、他国の使用に供した領域をその国が第三国に対する侵略行為のために使用するのを許す行為などを例示している(第3条)。政治的、経済的、軍事的その他のいかなる理由も侵略を正当化することはできない(第5条)。もっとも、人民の自決、自由および独立に対する権利は害されない(第7条)。いいかえれば、植民地や人種差別体制下の人民の解放闘争は侵略ではない。このように、決議はかなり具体的に侵略を構成する諸行為を列挙しているが、それ自体法的拘束力をもつものではない。1998年にローマで開催された政府間外交会議で採択された国際刑事裁判所規程でも、この裁判所による処罰の対象となる犯罪として、名目的に「侵略の罪」があげられてはいるが(第5条1項)、改正手続によってその定義などが新たに規定されるまで、裁判所の審理はなされないとしている。
[石本泰雄]
『石本泰雄「戦争と現代国際法」(高野雄一編『現代法と国際社会』所収・1965・岩波書店)』▽『筒井若水著『戦争と法』(1976・東京大学出版会)』
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