小説家。山梨県生まれ。4歳からは鎌倉で過ごす。栄光学園高校では映画監督の長崎俊一(1956― )や哲学者の樫村晴香(1956― )が同級生であった。早稲田大学政経学部卒業。1981年(昭和56)、西武百貨店に就職し、「西武コミュニティカレッジ」で講座の企画を担当したのをきっかけに小説家の田中小実昌や、哲学者の木田元(1928― )らとの親交を深めていく。仕事のかたわら執筆した「プレーンソング」を90年(平成2)に雑誌『群像』で発表し、デビュー。その続編といえる93年の『草の上の朝食』で野間文芸新人賞を受賞し、これに前後して文筆業に専念する。読者に不穏な感覚をもたらす出来事や語りを排することで、作品世界を圧倒的な幸福感で包みこんだこれらの小説は、「何も起こらない」ことこそが小説のテーマとなっており、その反復性を含めて賛否両論を巻き起こした。
95年に発表された『この人の閾(いき)』で第113回芥川賞を受賞。「ついで」のようなきっかけで久方ぶりに学生時代の女友だちと話をするという日常の一コマが、平易でリズミカルな文体でつづられているこの作品は、その深層において「世界を認識しコトバで記述する」ことをめぐる考察にもなっている。併せて収録された「夏の終わりの林の中」では、後に発表される『季節の記憶』のモチーフが先取りされ、「風景」などの対象物を、見る側の内面の投影なしに描き出すという手法が意識されている。
96年に刊行の『季節の記憶』で谷崎潤一郎賞、平林たい子賞をダブル受賞。柔らかい語り口と深い哲学的思索の織り成す作品世界が高く評価される。この作品と同じ登場人物と設定は、99年の『もうひとつの季節』に再登場する。これらの作品群では、小学校入学前の息子と2人暮しを営む「ぼく」と、「便利屋」を生業とする兄妹との平穏な日常が、鎌倉・稲村ヶ崎の日々移り変わる風景や身近な動物とともに描き出されているのだが、あくまでその風景はメタファーに還元されたり、「私」の内面に取りこまれたりするものではない。保坂が特異なのは、演繹不可能な「世界」をどのようにして思考のプロセスに組みこむかといった問題に意識的なことであり、それに対する回答は今後も小説ジャンルにおいて展開されていくであろう。
[江南亜美子]
『『アウトブリード』(1998・朝日出版社)』▽『『プレーンソング』『草の上の朝食』『季節の記憶』『もうひとつの季節』(中公文庫)』▽『『この人の閾』(新潮文庫)』▽『『世界を肯定する哲学』(ちくま新書)』
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