女持ちの手さげ袋。方形の底に織物製の胴をつけ,上端にひも通しをしつらえる。正しくは合財(がつさい)袋という。持物一切合財を入れられるという意から合財袋と呼ばれた。信玄袋の名称に対しては,信玄弁当(三つ重ねの弁当)を入れたためとか,信玄(甲斐絹(かいき)の隠語)を袋に用いたためなどというが定かではない。明治20年代まで女持ちの物入れは,タバコ入れや鼻紙袋,財布などがおもであったが,男が胴乱やかばんを用いるようになると,女持ちの袋物として考案され,明治30年代には流行の頂点を迎えた。合財袋のうち,底を籠(かご)でつくったものを籠信玄,巾着(きんちやく)式に口を絞ったものを千代田袋ともいった。また明治40年代には大型の信玄袋もでき,衣服入れに用いられた。オペラバッグがあらわれて流行も下火となったが,今日なお和装の際の持物として用いられている。
執筆者:上田 敬二
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雑貨を入れる袋物。武田信玄の肖像画の背後にある袋物に似ているところから、この名がついたという説があるが、判然としない。方形、長方形の底板の周囲を織物の裂(きれ)で囲み、口の部分に太い組紐(くみひも)を通して結んで袋物としたものである。1891年(明治24)に紋織でつくられ、風呂敷(ふろしき)より便利な雑貨入れとして用いられたのに始まり、革製の手提げ鞄(かばん)よりも、和装にあう便利なものとして、97年に入ると流行した。この袋はいっさいがっさい入るところから、合財袋ともいわれた。さらにこれを小ぶりにつくり、底に編み籠(かご)をつけたものは籠信玄といった。しかし、のちにバスケット、トランク、スーツケースに追われて衰退してしまった。
[遠藤 武]
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…ハンドバッグということばは19世紀中ごろから使われはじめた。日本では,袋物の歴史は古いが,懐中に入れるものから手に提げて持つものになったのは,明治中期の信玄袋が最初であった。1905年には布製の手提げ袋がオペラバッグの名で発売され,日本におけるハンドバッグの原型となった。…
※「信玄袋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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