元鮫河橋仲町(読み)もとさめがはしなかちよう

日本歴史地名大系 「元鮫河橋仲町」の解説

元鮫河橋仲町
もとさめがはしなかちよう

[現在地名]新宿区南元町みなみもとまち

四谷仲町の南に位置する町人地で、町内中ほどを雨水を落す下水が流れ、これを渡る石橋が二ヵ所設けられている。東は鮫河橋坂を挟んで紀州藩上屋敷、西は崇源すうげん寺、寄合永井氏の屋敷、南は元鮫河橋表もとさめがはしおもて町など。町内は幾つかの区画に分れ、間数は南側仲之なかの橋から西角までは東西表間口三八間余(裏幅三五間余)、この南北裏行は東の方で一二間、西の方で七間余、南側仲之橋から東の鮫河橋表町地境までは東西表間口九間(裏幅五間余)、この南北裏行は東の方で一二間、西の方で一一間余、西側北角から南角までは東西表間口三八間余(裏幅三三間余)、この南北裏行は東の方で九間余、西の方で八間、北側仲之橋東角から西角まで東西表間口八間余(裏幅も八間余)、この南北裏行は東西とも六間余、北側の西角から東の元鮫河橋表町地境までは東西表間口七間(裏幅八間余)、この南北裏行は東の方で一〇間余、西の方も一〇間余、北側横町の東側は南地境から北の元鮫河橋表町地境まで南北間口七間余(裏幅一二間)、この東西裏行は南の方で八間、北の方で九間余、西側の北角から南角地境まで南北表間口三〇間余(裏幅二六間余)、この東西裏行は南の方六間余、北の方で一五間、南側の西角から東角までは東西表間口七間余(裏幅一二間)、この南北裏行は東の方で八間余、西の方で九間余、東側北角は東西表間口一一間余(裏幅七間余)、この南北裏行は東の方で七間余、西の方で九間余となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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