入浅見村(読み)いりあざみむら

日本歴史地名大系 「入浅見村」の解説

入浅見村
いりあざみむら

[現在地名]児玉町入浅見

蛭川ひるがわ村の南に位置し、北東は下浅見村。児玉党阿佐美氏の名字の地とされ、中世には阿佐美・薊とも記された。児玉党系図(諸家系図纂)によると、児玉庄大夫家弘(児玉党の祖と伝える有道遠峯の曾孫)の末男弘方は阿佐美氏を称している。弘方の子実高は、正治二年(一二〇〇)右兵衛尉、建保四年(一二一六)には左衛門尉となり、従五位下に叙され、仁治二年(一二四一)没するが、児玉庄のほか上野国高山たかやま(現群馬県藤岡市)越後加賀などの所領を子息らに宛行ったという(前掲系図)。「吾妻鏡」文治五年(一一八九)七月一九日条には同年の奥州合戦に出陣した「浅見太郎実高」の名がみえ、実高は建久元年(一一九〇)一一月七日の源頼朝上洛の際にも真下氏らとともに供奉している(同書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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