八幡小路(読み)はちまんこうじ

日本歴史地名大系 「八幡小路」の解説

八幡小路
はちまんこうじ

[現在地名]小浜市男山おとこやま

八幡神社より北西小浜湊へ向かって延びる両側町で、丁字路となって東側は東宮前ひがしみやまえ町、西は西宮前町。通りのほぼ中央に十字路があって東は永三えいさん小路、西は中西なかにし町、永三小路と東宮前町の間に中小路なかこうじ、海岸に近いところの東にいま町・薬師やくし小路、西に風呂ふろ小路がある。「羽賀寺年中行事」の享禄三年(一五三〇)八月二二日条に「宿所八幡小路新光寺」とみえる。寛永一三年(一六三六)には藩へ願書を出し、六斎市を開設(「市場由緒之覚」市場仲買文書)。「拾椎雑話」に「正月十三日市祭、是は市立之祭礼にて古より不断能仕候、京極様御代には唯今魚市場に市立候能も市場に仕候、御当代四十七年前に西町衰微仕より御断申上、八幡小路に市を立申候能八幡にて仕候」とある。

八幡小路
はちまんくうじ

[現在地名]佐賀市八幡小路はちまんこうじ

松原小路まつばらくうじ小路んくうじの北にこれらと平行して東西に並んでいる武家屋敷町。本藩の家臣が多いが、各屋敷の規模は一般に城郭に近い松原小路が最も大きく、中ノ小路・八幡小路の順に小さくなっているし、同じ八幡小路でも城に近い南側の屋敷が広い。

武家屋敷でいまも残るものはほとんどないが、八幡小路の豊増家の門は保存がよく、瓦葺屋根両開きの大扉は両側にくぐり門があり、門の左右には番士の部屋があって二階建てとなっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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