神武(じんむ)天皇が大和(やまと)橿原(かしはら)に都を定めたときの神勅に「六合(くにのうち)を兼ねてもって都を開き、八紘(あめのした)をおおいて宇(いえ)と為(せ)んこと、またよからずや」(日本書紀)とある。ここにあるのは「八紘為宇」という文字であるが、1940年(昭和15)8月、第二次近衛(このえ)内閣が基本国策要綱で大東亜新秩序の建設をうたった際、「皇国の国是は八紘を一宇とする肇国(ちょうこく)の大精神に基」づくと述べた。これが「八紘一宇」という文字が公式に使われた最初である。爾来(じらい)、教学刷新評議会で「国体観念をあきらかにする教育」を論ずるなかなどで頻繁に使用された。国柱会(こくちゅうかい)の田中智学(ちがく)もしばしばこの文字を使った。すべて「大東亜共栄圏の建設、ひいては世界万国を日本天皇の御稜威(みいづ)の下に統合し、おのおのの国をしてそのところを得しめようとする理想」の表明であったとされるが、太平洋戦争における日本の敗戦によって、万事休した。
[古川哲史]
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太平洋戦争期に用いられた大東亜共栄圏建設の理念を示す用語。「日本書紀」神武天皇即位前紀の言葉から造語され,世界を一つの家となすという意味。1940年(昭和15)第2次近衛文麿内閣の基本国策要綱に「肇国の大精神」として登場して以後広く使用され,第2次大戦後の占領期には字句使用禁止措置がとられた。
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…(2)日本国民は臣民として,古来より忠孝の美徳をもって天皇に仕え,国運の発展に努めてきた,とする主張。(3)こうした国柄(〈国体〉)の精華は,日本だけにとどめておくのではなく,全世界にあまねく及ぼされなければならない(〈八紘一宇〉),という主張である。 こうした歴史観は,《古事記》や《日本書紀》,あるいは《神皇正統記》や《大日本史》等にその淵源を求めるものであるが,そもそも,明治維新以降の日本における近代史学の形成は,こうした大義名分論的な歴史観からの独立,それとの対決を通じてなされていった。…
※「八紘一宇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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