出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…〈満州事変〉(九・一八事変)以来,中共は倒蔣抗日の民族武装自衛運動を提唱したが,民族ブルジョアなど中間勢力を敵視する“下からの”統一戦線論のセクト性のため,運動を発展させられなかった。 1935年,日本の華北侵略が露骨化し,中国国民の危機意識が高まるなかで,中共は八・一宣言を発し国共内戦の停止と一致抗日を呼びかけて広範な支持を得た。一二・九運動,西安事件によって蔣介石も討共優先の政策の転換をよぎなくされ,国共再合作が実現した。…
…また李立三の性急な都市武装暴動路線は否定され,紅軍とソビエトの意義は承認されたが,中国革命の長期性と農村から都市を包囲するという中国革命の特殊性は認識されず,極左路線は克服されなかった。31年10月,彼は三たびソ連に行き,コミンテルン執行委員となり,35年抗日統一戦線をよびかける〈八・一宣言〉を発表,同年のコミンテルン7回大会で〈植民地・半植民地の革命運動ならびに共産党の戦術〉という演説を行った。38年帰国,延安に入ったが,ソ連防衛という“国際”的責務と中国革命の関係および統一戦線における国民党との関係をめぐって,ソ連防衛より中国革命の勝利を第一義的課題であるとして党の指導権を獲得した毛沢東と鋭く対立した。…
※「八一宣言」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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