中国において,古代より論議され続けてきた対立的命題。江戸期の荻生徂徠は次のように明解に定義する。〈公なるものは私の友なり。衆の同じくする所,これを公といい,己の独りもっぱらにする所,これを私という〉(《弁名》)。公・私が指す内容は時代,学派,思想家によって揺れがあるが,両者の対立はひとまず公共的・共同体的価値と個人的価値との対立に置きかえることができよう。しかし中国では,個があってこそ全体が成立しうるという発想をとらず,個が存在しうるのは全体があるからだと考えるので,公志向がきわめて強く,公共的なものへと開かれない個人的諸価値は,おしなべて私=利己主義(エゴイズム)と呼ばれて排斥された。私が公と拮抗(きつこう)する力をもたず,プラス価値である公に対してマイナス価値であったのは,たとえば〈私腹〉〈私欲〉〈私販〉〈私刑〉などといった言葉によってもうかがえる。近世に私を肯定する動きがあらわれるが,公に対する私の価値的逆転はついに起こらなかった。利己主義に当たる言葉はあっても,個人主義を表す言葉がなかったから,それも無理からぬことといえよう。中国では,わが肉体さえも自分だけのものではなく,親の残したからだとされたのであった(身ハソノ私ニ有スルモノニハアラズ,厳親ノ遺体ナリ。《呂氏春秋》孝行)。このような公志向の極点が〈大同〉というユートピア幻想であろう。大同の世は後世,しばしば革命の原動力になったが,そこでは〈天下を公と為(な)す〉がゆえに,人は自分の親や子だけを大事にせず,不幸な人々に援助の手をさしのべ,財貨も私蔵しないし,労力も自分のためだけに使わないという(《礼記》礼運篇)。
思想史上からいえば,公・私の対立をするどく提起したのは法家であった。《韓非子》五蠹(ごと)篇にいう,〈むかし蒼頡(そうけつ)(伝説上の文字の制作者)が文字を作ったとき,自分のためばかり営(はか)るのを厶(私のもとの字)とし,厶に背(そむ)くことを公とした。公・私が背反することを彼はすでに知っていたのだ〉。そこでいう公・私は,上・下と言いかえてもよく,公は君主の利害,私は臣民の利害であって,法とは前者に奉仕し後者を牽制するものにほかならない。原始儒家では,公・私はともに君主の為政のあり方にかかわり,公平でえこひいきせず,恵みを万人に均(ひと)しく及ぼすことが公とされた。《荀子》賦篇には〈公正無私〉という言葉もみえる。道家の《老子》では公・私は対立的命題とはならず,〈無私なるがゆえに私を達成しうる〉(第7章)とあるように私が肯定される一方,公はそれとは別のレベルで公平無私なあり方として賛美される(第16章)。《荘子》でも政治の次元をはなれ,万物をえこひいきなく抱擁する道(タオ)や天地のあり方にかかわって公や無私が言われる。このようにすでに先秦のころから公・私は問題にされたが,これが思想上の重大テーマと考えられるようになるのは,何といっても宋代の新儒教=朱子学勃興以後のことである。そこで公・私は〈天理〉と〈人欲〉の対立に組み込まれ,自分一個にかかわる欲望は〈人欲の私〉としてきびしく指弾され,〈天理の公〉(普遍的公共的規範)への復帰が説かれた。仏教もこの立場から,自分だけの救済を求めるとして批判される。ただ,朱子学における公・私は,〈万物一体の仁〉(万物に対するへだてなき愛と連帯感)という語が示すように,社会対自己の枠を超えており,むしろ全的生命対自己というべきであって,私とはおのが一身のうちに閉じこもり,宇宙的生命への参与の拒否,ないしは無自覚とすべきであろう。しかし,朱子学が体制化・権威化するにつれ,その天理人欲(公私)論は人間性の抑圧だとする動きがあらわれる。明の李卓吾,明末・清初の黄宗羲(こうそうぎ),王船山,清の戴震(たいしん)などは,私を包摂するより高次の公を追求した。荻生徂徠も前引の文章に続けて〈君子といえどもあに私なからんや〉と述べ,宋儒の公は〈恩なきにちかし〉として反発している。公私というテーマは旧社会の崩壊とともに終わったのではなく,社会主義体制をとり,人民公社を擁する現代中国においても,依然として古くて新しい問題である。
→公共 →私(わたくし)
執筆者:三浦 国雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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