内村城跡(読み)うちむらじようあと

日本歴史地名大系 「内村城跡」の解説

内村城跡
うちむらじようあと

[現在地名]植木町内

岩照寺山がんしようじさん城ともいい、内本村うちほんむらの西、岩照寺の奥のひじり(小塚山)の麓小字城越しろんこしにあり、山頂は城床とよばれる長さ九〇メートルほどの細長い小平坦地をなす。永仁元年(一二九三)伊賀国より服部備前守基貞が下向し築城したとの所伝もあるが、「事蹟通考」所載の内空閑系図によると、基貞は明徳元年(一三九〇)下向し、菊池武朝に属して山本やまもと郡五五〇町を領知し、内空閑と改め永享四年(一四三二)八五歳で没したという。荒木・一安・浦辺など内空閑家家臣三六人衆が陣内に住したといい、内集落内に石丸・乙丸・五郎丸・次郎丸・徳丸などの小名があり、いずれも土塁や石垣で区画されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android