内田 定槌
ウチダ サダツチ
明治・大正期の外交官 トルコ駐剳大使。
- 生年
- 元治2年1月17日(1865年)
- 没年
- 昭和17(1942)年6月2日
- 出生地
- 豊前国小倉(福岡県)
- 学歴〔年〕
- 帝国大学〔明治22年〕卒
- 経歴
- 明治22年外務省に入り、23年上海副領事。26年京城領事となり、閔妃暗殺事件の際に詳細な報告書を作成した。29年ニューヨーク領事、39年ブラジル公使を経て、45年スウェーデン公使となる。この間ドイツとの単独講和につき打診した。大正10年国際連盟高級委員としてトルコに派遣され、12年トルコ大使となり両国の国交進展に尽くした。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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内田定槌 うちだ-さだつち
1865-1942 明治-大正時代の外交官。
元治(げんじ)2年1月17日生まれ。明治22年外務省にはいる。26年京城領事。閔妃(ミンビ)暗殺事件の際に詳細な報告書を作成。のちブラジル公使,スウェーデン公使をへて,大正10年国際連盟高級委員としてトルコに派遣される。12年トルコ大使。昭和17年6月2日死去。78歳。豊前(ぶぜん)小倉(福岡県)出身。帝国大学卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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