内藤民治(読み)ナイトウ タミジ

20世紀日本人名事典 「内藤民治」の解説

内藤 民治
ナイトウ タミジ

明治〜昭和期の思想家



生年
明治18(1885)年10月28日

没年
昭和40(1965)年7月15日

出生地
新潟県

学歴〔年〕
東京農業大学卒

経歴
明治39年渡米しニューヨーク・ヘラルド紙の特派員となり、英国、フランスをはじめ世界各国を歴訪。大正6年帰国し、雑誌中外」の主幹として活躍。7年吉野作造らと進歩的思想家の結集をはかり黎明会を組織した。8年日露相扶会を創立し、超党派の立場からソビエトロシア承認運動を推進、ソ連の極東代表アドルフ・ヨッフェを日本に招くなど日ソ国交回復に貢献した。13年訪ソし、トロツキーカーメネフ、スターリンらの要人会見。その後も日ソ・日中間の関係改善に尽くした。編著に「堤清六生涯」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内藤民治」の解説

内藤民治 ないとう-たみじ

1885-1965 明治-昭和時代のジャーナリスト
明治18年10月28日生まれ。39年渡米し「ニューヨーク-ヘラルド」紙の特派員となる。大正6年帰国,雑誌「中外」の主幹。7年吉野作造らの黎明(れいめい)会の設立に協力した。日ソ・日中間の関係改善につくした。昭和40年7月15日死去。79歳。新潟県出身。東京農大卒。編著に「堤清六の生涯」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

仕事納

〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...

仕事納の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android