副田庄(読み)そえだのしよう

日本歴史地名大系 「副田庄」の解説

副田庄
そえだのしよう

しようおよびその周辺に比定される安楽寺(太宰府天満宮)領の庄園。安楽寺草創日記によると、永承二年(一〇四七)後冷泉天皇の御願によって安楽寺金堂が建立され、「副田庄七十町」などが寄進されたという。寄進者は不明だが、天皇の意を受けた大宰府の官人であろう。「猪熊関白記」建仁元年(一二〇一)四月二七日条には、安楽寺領の「豊前国副田庄」などをめぐる同寺の定円と本家にあたるその兄の菅原定賢(公貞)との相論について記されており、定円が勝訴したとみられる。観応三年(一三五二)書写の安楽寺領注進状には「副田庄 同新庄」とみえ、新庄も成立していた。また地頭職も安楽寺に寄進されていたが、当時は島津貞久の後継者師久が押領していたという。享徳三年(一四五四)には、安楽寺祭礼で行われる田楽に際しての酒代を賦課されており(同年八月日「安楽寺公文所下文」太宰府天満宮文書/大宰府・太宰府天満宮史料一三)、領家職は一貫して安楽寺が所持していたと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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