改訂新版 世界大百科事典 「勾引」の意味・わかりやすい解説
勾引 (かどわかし)
〈こういん〉とも読む。人を不法に自己または第三者のもとにおくこと。人勾引(ひとかどい)ともいう。律令制では略人という。養老律は,唐制と同様に,略のほかに略売,和誘,和同相売を区別し,人を略する罪と奴婢を略する罪の2条をたてている。良民を略したり略売して奴婢とすれば遠流,家人(けにん)とすれば徒3年,妻妾子孫とすれば徒2年半,和誘すなわち被略者との間に合意があるときは略人の罪より一等を減ずる,というように,さまざまな態様に応じて刑を定めた。規定は唐律と同じであるが,刑はそれぞれ唐律よりも一等軽くしている。奴婢を略するものは強盗,和誘は窃盗として扱う。令の制度には,不当に賤民とされた者が,良民であることを訴える方途が開かれていた。《続日本紀》には略人の例がいくつかみえる。大宝3年(703)4月の条には,安芸国で略されて奴婢とされていた200人余が免されて本籍にかえっている。平安時代末になると略人を勾引人と呼ぶようになる。《法曹至要抄》には勾引人事として律の略人の条文を引用しているが,このころ勾引して奴婢とする者は強窃盗として処刑したようである。
平安末から鎌倉時代にかけて,新制と呼ばれる法令が朝廷から出されたが,1178年(治承2)以降の新制には勾引人のことがみえる。これらによると,人を勾引して売る者が京畿に横行して社会不安となっていた。鎌倉幕府も朝廷から出された禁令をうけて,1226年(嘉禄2)には諸国の御家人らに人商人(ひとあきびと)の召捕りを命じている。その後1290年(正応3)の幕府法になると,人商と称しその業を専らにする者が多いので,その禁止と違反者の面に火印を捺すことを命じている。人商人の横行は室町時代にかけてひどくなったようである。当時の文学,御伽草紙,幸若舞,古浄瑠璃,謡曲,狂言などには,人商人が登場し,これによる親子離別の悲哀や再会が主題となっているものが多い。説経節の〈さんせう大夫〉もそうである。これらによれば,都からかどわかされた者は東国,北陸,山陰,九州などの辺境に連行され,農耕,牧畜,潮くみ,家事などに使役された。これらの辺境地域には奴隷制的経営が行われ,労働力の不足があった。あるいは,都の優雅な子女が辺地の豪族らに珍重されたこともある。
戦国大名にも人勾引禁止の立法をしたものがあるが,江戸幕府も人勾引には厳科を科した。1616年(元和2)の法は勾引売の売主は成敗,売られた者は本主に返すと定め,《公事方御定書》は〈人を勾引候もの,死罪〉〈勾引候ものと馴れ合い売り遣し,分ケ前取り候もの,重き追放〉との規定を設けた。しかし,近世も中葉以降になり,一般に譜代下人と呼ばれる奴隷的身分が消滅してくると,人勾引は主として遊女や飯盛女などの娼婦に売ることを目的とするものになってくる。《御仕置例類集》などには,勾引売の仕置例が多くみられ,主謀者は死罪となっている。
→人買 →誘拐罪
執筆者:牧 英正
勾引 (こういん)
特定の者を裁判所など一定の場所に引致する裁判およびその執行をいう。被告人,証人,身体検査を受ける者などに認められる。被告人の勾引は,(1)住所不定のとき,(2)正当な理由なく召喚に応じないか応じないおそれのあるとき,または(3)裁判所の出頭命令,同行命令に正当な理由なく応じないときに,裁判所が勾引状を発して行うことができる(刑事訴訟法58,68条)。勾引状を発するのは憲法上の要請である(憲法33条)。勾引した被告人は,勾留状が発せられないかぎり24時間以内に釈放しなければならない。証人や身体検査を受ける者の勾引は,これらの者が裁判所の召喚・呼出しに応じない場合に,被告人の勾引に準じて認められるが(刑事訴訟法135,136,152,153条,民事訴訟法194条),これらの者には24時間の留置は認められない。なお,人身保護法は,身体の自由を拘束されていた者が裁判所の決定により仮に釈放されたのち,裁判所の呼出しに応じて出頭しないときに,これを勾引することを認めている(10条)。
執筆者:平川 宗信
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報