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北条高時【ほうじょう・たかとき】
6件の用語解説(北条高時で検索)
朝日日本歴史人物事典の解説-
生年:
嘉元1 (1303)
没年: 正慶2/元弘3.5.22 (1333.7.4)
鎌倉後期の武将。鎌倉幕府の執権。得宗第9代。父は北条貞時。母は安達泰宗の娘(あるいは安達時顕の娘)。幼名成寿丸。相模太郎と称す。延慶2(1309)年1月元服。応長1(1311)年6月に従五位下左馬権頭。同年父貞時が死去。貞時は死後の実務を内管領長崎高綱・高資父子と安達時顕に委ねたともいい,高時は彼らの庇護のもとで成長した。正和5(1316)年1月従五位上に昇り但馬権守を兼任。同年7月,14代執権に就任。但し政治の実権は依然長崎氏らの手中にあった。文保1(1317)年3月,正五位下相模守。4月従四位下。このころ摂津親鑒が上洛し,大覚寺・持明院両統の皇位継承についての建策を行った。践祚,立坊は両統の和談によるべしとするもので,「文保の和談」と呼ばれる。これにより当時の幕府の指向性を知ることができるが,両統の対立は根深く,以後も幕府は否応なく皇位継承に干渉せざるをえなかった。朝廷の幕府への不満も,日を追って高まっていく。 同3年修理権大夫を兼ねる。正中1(1324)年,朝廷の倒幕計画が露顕し後醍醐天皇は罪に問われた。いわゆる「正中の変」であるが,幕府は天皇の無実を認め,穏便に対処した。同3年3月,病のために出家,執権職を金沢貞顕に譲る。法名を日輪寺崇鑑と称した。元徳2(1330)年,長崎高頼らが長崎高資の排斥を企て,逆に処罰される。高頼らの背後には高時がいたらしいが,高時は遂に高資の存在を否定し得なかった。高時が当時田楽,闘犬,酒宴にあけくれていたことを併せ考えると,高資の政治力が高時を凌駕していたことは間違いないだろう。高時が世人から「ほとんど亡気(痴呆)の躰」と評された原因も,ここにあるのではないか。元徳3/元弘1(1331)年4月,後醍醐天皇は再び討幕を計画して挙兵。幕府はいったんこれを鎮圧するが,兵乱は全国に拡大。正慶2/元弘3年新田義貞の進攻にあい,高時は鎌倉葛西ケ谷の東勝寺で一族と共に自刃,150年にわたる鎌倉幕府は滅亡した。
(本郷和人)
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世界大百科事典 第2版の解説-
ほうじょうたかとき【北条高時】
1303‐33(嘉元1‐元弘3)
鎌倉時代,北条氏最後の得宗。貞時の子。室は安達時顕女。幼名成寿丸。1311年(応長1)1月小侍奉行,6月左馬権頭。同10月父の死により内管領長崎円喜と安達時顕に補佐され9歳で得宗の座につくが,頻々と執権が交代し政治不安は増大した。16年(正和5)14歳で執権となるが,実権は得宗の専制権力を背景とする内管領長崎高資(円喜の子)が掌握,失政が続いた。24年(正中1)幕府は後醍醐天皇の討幕計画を未然に抑えたが(正中の変),激化する海賊・悪党の跳梁,蝦夷の蜂起,さらに泥沼化する内紛は幕府を弱めた。・・・
▼北条高時について記述のある項目
東勝寺【とうしょうじ】 得宗【とくそう】
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説-
北条高時 ほうじょう-たかとき
 
1303-1333 鎌倉時代の武将。
嘉元(かげん)元年生まれ。北条貞時(さだとき)の次男。正和(しょうわ)5年14代執権となるが,内管領(うちかんれい)長崎高資(たかすけ)らに実権をにぎられ酒宴,田楽にふけったという。正中(しょうちゅう)3年執権を金沢貞顕(かねざわ-さだあき)にゆずり出家。元弘(げんこう)の乱で後醍醐(ごだいご)天皇を隠岐(おき)に流したが,新田義貞に攻められ,正慶(しょうきょう)2=元弘3年5月22日一族とともに鎌倉東勝寺で自刃(じじん),鎌倉幕府は滅亡した。31歳。法名は崇鑑。
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。収録人物のデータは2009年1月20日現在のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
百科事典マイペディアの解説-
鎌倉幕府第14代執権。貞時の子。1316年執権となる。幼少のため舅(しゅうと)安達時顕や執事長崎高資(たかすけ)らが実権を握って政治は乱れ,民心を失った。1326年入道して執権を金沢(かねさわ)貞顕に譲った。
(1303-1333)
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デジタル大辞泉の解説-
ほうじょう‐たかとき 〔ホウデウ‐〕 【北条高時】
[1303~1333]鎌倉幕府第14代執権。在職1316~1326。若年で執権となったため政治を乱し、正中の変・元弘の変を招いた。のち、新田義貞に鎌倉を攻められて一族とともに自刃した。
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大辞林 第三版の解説-
ほうじょうたかとき【北条高時】
(1303~1333) 鎌倉幕府第一四代執権。貞時の子。法名,崇鑑。一四歳で執権となったが,内管領長崎高資らに実権を握られ遊宴にふけったため幕政は混乱。元弘の乱で後醍醐天皇を隠岐に配流し光厳天皇を擁立したが,新田義貞に鎌倉を攻められ東勝寺で自刃した。
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