十年畑村(読み)じゆうねんばたむら

日本歴史地名大系 「十年畑村」の解説

十年畑村
じゆうねんばたむら

[現在地名]伯太町上十年畑かみじゆうねんばた下十年畑しもじゆうねんばた

小竹おだけ村の西、赤屋あかや村の南に位置する山村で、伯太川の原流域である。南は伯耆国に接し、「郷方古今覚書」に「十年畑村より、伯州折渡村之内、奥粟谷村まで、三十町三間」とある。なお地元ではジュネンバタともいう。寛永六年(一六二九)の井尻村之内十年畑分検地帳(井尻村史)によると高三七七石余。正保国絵図には十年畑村とみえ、正徳二年(一七一二)戸数は枝郷草野くさの村分を含め六二(郷土母里)。村は実態としては上十年畑・下十年畑の二村に分れており、近代に入ると草野村も公的に独立、計三村となった。「郡村誌」によると上十年畑村は、田三四町三反余・畑四町三反余・宅地二町五反余・山林三四町七反余、戸数六二・人数二九三、牛五五・馬五。物産は米・柿・栗・製鉄民業は農五五・日雇一・商五・鍛冶一。下十年畑村は田三七町一反余・畑四町一反余・宅地二町六反余・山林一一町四反余、戸数六七・人数三一七、牛五八。物産は米・柿・栗・熟鉄。民業は農六二・商三・鍛冶二。

下十年畑の字市場の高尾いちばのたかお山、字用土の城ようどのしろ山、上十年畑字さいはら小屋の峰こやのみね、字土井どいなどは中世の頃山城や砦や屋敷などがあった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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