知恵蔵2010の解説
アフリカ大陸南端の国。行政上の首都はプレトリアだが、商業・文化の中心は国内最大都市ヨハネスブルクである。立法府はケープタウン、司法府はブルームフォンテーンにおかれている。面積は122万平方キロ、人口は約4千970万人(2008年)。黒人が79%、白人が9.6%、カラード(混血)が8.9%、アジア系が2.5%を占める。アジア系はインド人が最も多いが、今世紀になって商用目的の中国人が急増し、ヨハネスブルクを中心に中国人街を形成している。公用語には、英語、アフリカーンス語の他、ズールー語、コサ語、ソト語など11の言語が指定されている。キリスト教徒が人口の約8割を占めるが、インド系を中心にヒンズー教やイスラム教の信者も多い。国際社会から厳しい批判を浴びた人種隔離政策(アパルトヘイト)は1991年に廃止され、近年は、金・ダイヤモンド・各種レアメタルなどの豊富な資源を基に、著しい経済発展を遂げ、BRICsの最後の「s」として語られるようになった。通貨はランド。
白人による支配は、1652年のオランダ東インド会社の入植に始まる。オランダ系ボーア人が現在のケープタウンに植民地を開き、その後東部へと進出していった。18世紀末、イギリスが勢力を強め、1814年にはボーア人からケープ地区を奪って英国領とした。追われたボーア人は、内陸にトランスバール共和国・オレンジ自由国、東岸にナタール共和国を建国。しかし、次々とイギリスの支配下におかれ、1910年にはケープとすべて統合されて、南アフリカ連邦となった。
第2次世界大戦後、アジア・アフリカ各国で民族主義のうねりが高まる中、南アフリカ連邦も英連邦から脱退し、61年に南アフリカ共和国として独立を果たした。しかし、少数の白人による支配は強まり、異人種間の結婚・性的交渉を禁じた「雑婚禁止法」や「背徳法」、人種ごとの居住地や公的施設の使用区分を定めた「集団地域法」や「隔離施設利用法」など、一連のアパルトヘイト関連の諸法が制定されていった。
アパルトヘイトは国際社会の非難の的となり、とくに80年代後半に先進諸国の経済制裁を受けてからは、急速に差別緩和政策がとられるようになった。徐々に法律の改正・撤廃が進められ、91年にはアパルトヘイト関連の基幹法が全廃された。94年には初めての民主的総選挙が実施され、アフリカ民族会議(ANC)のネルソン・マンデラが史上初の黒人大統領に選出された。マンデラは人種・民族の融和をかかげ、「虹の国」の建設を宣言。その後もANC政権が続き、99年に就任した同党のムベキ大統領は、黒人の経済参入・雇用拡大を目的としたBEE(ブラック・エコノミック・エンパワーメント)政策を進めた。この黒人優遇政策は、消費意欲の強い黒人中間層を生み出したが、同時に貧富の差を拡大させてしまった。2009年に就任したズマ大統領には、経済・雇用の安定とともに、治安の改善やエイズ禍の防止等、解決すべき課題が山積している。10年6月には、アフリカ大陸では初となるサッカーワールドカップが開催される。
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大迫秀樹 フリー編集者)
出典:(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2010」
デジタル大辞泉の解説
みなみアフリカ‐きょうわこく【南アフリカ共和国】
アフリカ大陸南端部の共和国。行政上の首都はプレトリア、立法府はケープタウン、司法府はブルームフォンテーン。金・ダイヤモンド・ウランなどの世界的な産出国。1652年オランダがケープ植民地を開設して入植。1814年に英国領となり、のちトランスバール・オレンジ・ナタールが建国されたが、英国植民地に併合。1910年4州として統合し、自治領南アフリカ連邦が発足。61年英連邦を脱退して共和国となった。白人による有色人種差別・隔離政策(アパルトヘイト)をとったが、91年にその基幹法を撤廃。94年、全人種参加の選挙が行われ、国民統合政府が成立した。人口4419万(2006)。南ア。
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