友光合戦場(読み)ともみつかつせんじよう

日本歴史地名大系 「友光合戦場」の解説

友光合戦場
ともみつかつせんじよう

[現在地名]安佐北区高陽町上深川 友光

国鉄芸備線上深川かみふかわ駅付近の地を友光という。天文(一五三二―五五)の頃、山県郡大朝新おおあさしん(現大朝町)の吉川家の当主興経は若年で、叔父吉川経世・老臣森脇祐有らの実力者と対立、経世と祐有は毛利元就と通じ、興経を隠居させて元就の次男元春を後継に迎えた。興経の隠居所は布川ふかわ(深川)と定められ、天文一六年八月、実子千法師・家臣豊島興信らを従えてこの地へ移った。興経は元就に対して背く意志のないことを誓っているが、流言飛語が飛び、また勢力拡大をねらっていた元就は興経を討つことに決め、同一九年九月二七日熊谷信直と天野隆重が興経を布川居館に襲撃した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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