古来風体抄(読み)コライフウテイショウ

デジタル大辞泉 「古来風体抄」の意味・読み・例文・類語

こらいふうていしょう〔コライフウテイセウ〕【古来風体抄】

鎌倉初期の歌論書。2巻。藤原俊成著。式子しきし内親王依頼により、建久8年(1197)に撰進。再撰本は建仁元年(1201)成立万葉集から千載集までの秀歌を引用し、その歌風変遷を示して短評を加えたもの。こらいふうたいしょう。

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精選版 日本国語大辞典 「古来風体抄」の意味・読み・例文・類語

こらいふうたいしょう コライフウタイセウ【古来風体抄】

鎌倉初期の歌論書。二巻。藤原俊成式子内親王に奉ったもの。初撰本は建久八年(一一九七)、再撰本は建仁元年(一二〇一)成立。和歌起源、「万葉集」から「千載集」に至る和歌の歴史、歌風の変遷を述べ、秀歌を抄出して、時に短評を加えたもの。和歌史の先駆であり、俊成のまとまった歌論書としては唯一のもの。こらいふうていしょう。

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百科事典マイペディア 「古来風体抄」の意味・わかりやすい解説

古来風体抄【こらいふうていしょう】

鎌倉初期の歌論書。2巻。藤原俊成著。〈こらいふうたいしょう〉とも。1197年初撰本,1201年再撰本が成る。式子内親王の求めにより執筆したとされる。《万葉集》から《千載和歌集》までの歌集から例歌を選び,著者の考える秀歌の基準〈何となく艶にもあはれにも聞ゆること〉を和歌の史的展開の中に例示しようとしたもの。《古今和歌集》を重視し,〈幽玄体〉を提唱する和歌観が天台止観と関係づけられて論じられている。
→関連項目歌論

古来風体抄【こらいふうたいしょう】

古来風体抄(こらいふうていしょう)

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改訂新版 世界大百科事典 「古来風体抄」の意味・わかりやすい解説

古来風体抄 (こらいふうていしょう)

〈こらいふうたいしょう〉とも読む。藤原俊成の歌論として唯一のまとまったもの。2巻。式子内親王の依頼によって,1197年(建久8)に著し(初撰本。原本は冷泉家蔵),1201年(建仁1)に再び執筆(再撰本)。《万葉集》から《千載集》までの歌風の変遷を,鑑賞的に歌を批評しつつたどり,《古今集》の歌を本体とすべきことを力説。また,〈幽玄体〉を提唱し,天台宗の止観からの影響をうかがわせるなどの点に特色を有する。
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「古来風体抄」の解説

古来風体抄
こらいふうていしょう

鎌倉時代の歌学書。2巻。藤原俊成(としなり)(釈阿)著。1197年(建久8)の初撰本と,その4年後の再撰本がある。式子(しきし)内親王の求めに応じて執筆された。和歌の本質論,和歌史論,「万葉集」歌191首の抄出,勅撰集所収歌395首(再撰本398首)の抄出などからなる。和歌の表現の変遷と変わることのない本質を追究した重要な著作。「日本思想大系」「日本歌学大系」所収。

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世界大百科事典(旧版)内の古来風体抄の言及

【歌論】より

…〈心〉の重視を言いつつ,〈詞をかざり詠むべきなり〉とも言って,〈言葉〉の尊重,言語世界の自立をも示唆している点が斬新であった。
【中世】
 中世の最初を飾るのは,藤原俊成《古来風体抄(こらいふうていしよう)》である。式子内親王の依頼によって執筆したもので,成立は1197年(建久8)である。…

【藤原俊成】より

…1203年(建仁3)には後鳥羽院から九十の賀を賜う光栄に浴し,《祇園社奉納百首》詠作を最後に功成り名遂げた生涯を終えた。 この間,1178年(治承2)家集《長秋詠藻》を自撰して守覚法親王に献呈,97年(建久8)には歌論書《古来風体抄(こらいふうていしよう)》を献進(1201年改訂),晩年の和歌観を吐露した。俊成はここで天台止観によそえて和歌の変遷を内観し(最初の和歌史観),浮言綺語(ふげんきぎよ)の和歌が仏法悟得の機縁たりうるという新価値観(狂言綺語観)を提示し,さらに《古今集》を歌の本体と仰ぐ伝統観(古典の定立)を述べる。…

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