吉村公三郎(読み)ヨシムラコウザブロウ

デジタル大辞泉 「吉村公三郎」の意味・読み・例文・類語

よしむら‐こうざぶろう〔‐コウザブラウ〕【吉村公三郎】

[1911~2000]映画監督。滋賀の生まれ。女性映画の巨匠と呼ばれ、主演女優の魅力を引き出す手腕が高く評価された。新藤兼人かねとらと「近代映画協会」を設立。代表作暖流」「安城家の舞踏会」「夜明け前」「夜の河」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「吉村公三郎」の意味・わかりやすい解説

吉村公三郎
よしむらこうざぶろう
(1911―2000)

映画監督。明治44年9月9日、滋賀県坂田郡山東(さんとう)町(現、米原(まいばら)市)に生まれる。日本中学(現、日本学園高校)卒業。1929年(昭和4)に松竹助監督として入社。1934年に監督第一作を発表、1939年の『暖流』で一流監督と目されるようになる。撮影所の方針で女性映画をおもにつくるが、従来の感傷を排して理性的、知性的な若い魅力的な女性像を描き出したところに良さがあった。敗戦の直後の『安城家舞踏会』(1947)で原節子が演じたヒロインなどがその典型で、日本の復興は気丈で純情な若い女性たちの自覚から、と叫んでいるような趣(おもむき)がある。重要な作品に『偽(いつわ)れる盛装』(1951)、『夜明け前』(1953)、『足摺(あしずり)岬』(1954)、『夜の河』(1956)などがある。高峰三枝子、原節子、京マチ子山本富士子などそれぞれの時代の代表的なスター女優に、時代の先端を行く女性を演じさせた監督である。受賞多数。平成12年11月7日没。

佐藤忠男

資料 監督作品一覧

ぬき足さし足(1934)
軍国の春(1938)
女こそ家を守れ(1939)
陽気な裏町(1939)
明日の踊り子(1939)
五人の兄妹(1939)
暖流 啓子の巻・ぎんの巻(1939)
西住戦車長伝(1940)
花(1941)
間諜(かんちょう)未だ死せず(1942)
南の風 瑞枝(みずえ)の巻(1942)
続南の風(1942)
開戦の前夜(1943)
敵機空襲(1943)
決戦(1944)
象を喰つた連中(1947)
安城家の舞踏会(1947)
誘惑(1948)
わが生涯のかゞやける日(1948)
嫉妬(しっと)(1949)
森の石松(1949)
真昼の円舞曲(1949)
春雪(1950)
戦火の果て(1950)
偽れる盛装(1951)
自由学校(1951)
源氏物語(1951)
西陣の姉妹(1952)
暴力(1952)
千羽鶴(1953)
慾望(1953)
夜明け前(1953)
足摺(あしずり)岬(1954)
若い人たち(1954)
愛すればこそ~第一話「花売り娘」[今井正、山本薩夫とのオムニバス](1955)
銀座の女(1955)
歌舞伎十八番「鳴神」 美女と怪龍(1955)
嫁ぐ日(1956)
夜の河(1956)
四十八歳の抵抗(1956)
大阪物語(1957)
夜の蝶(1957)
地上(1957)
一粒の麦(1958)
夜の素顔(1958)
電話は夕方に鳴る(1959)
貴族の階段(1959)
女経~第三話「恋を忘れていた女」[増村保造市川崑とのオムニバス](1960)
女の坂(1960)
婚期(1961)
女の勲章(1961)
家庭の事情(1962)
その夜は忘れない(1962)
嘘~第二話「社用2号」[増村保造、衣笠貞之助とのオムニバス](1963)
越前竹人形(1963)
こころの山脈(1966)
堕落する女(1967)
眠れる美女(1968)
甘い秘密(1971)
天皇の世紀~第13話「壊滅」(1971)
混血児リカ ハマぐれ子守唄(1973)
襤褸(らんる)の旗(1974)

『吉村公三郎著『映画のいのち――伝記・吉村公三郎』(1998・大空社)』

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20世紀日本人名事典 「吉村公三郎」の解説

吉村 公三郎
ヨシムラ コウザブロウ

昭和期の映画監督,随筆家



生年
明治44(1911)年9月9日

没年
平成12(2000)年11月7日

出生地
滋賀県坂田郡山東町

学歴〔年〕
日本中学(現・日本学園高校)〔昭和4年〕卒

主な受賞名〔年〕
毎日映画コンクール監督賞(昭25年度)「偽れる盛装」,紫綬褒章〔昭和51年〕,勲四等旭日小綬章〔昭和57年〕,日本映画批評家賞(功労賞 平4年度)〔平成5年〕,毎日映画コンクール特別賞(第55回)〔平成13年〕

経歴
旧制中学時代から映画に没頭し、そのため上級学校への進学に失敗。昭和4年松竹蒲田撮影所に入所。島津保次郎の助監督をつとめ、9年サイレントの短編喜劇「ぬき足さし足・非常時商売」で監督デビュー。14年1月監督に昇進。同年岸田國士原作の「暖流」で注目され、映画も大ヒットを記録。兵役を経て、21年帰国、松竹大船撮影所に復帰。22年監督第2作で脚本家・新藤兼人と初コンビを組んだ「安城家の舞踏会」がキネマ旬報ベスト1となる。さらに新藤とのコンビで「わが生涯のかがやける日」(23年)、「森の石松」(24年)を発表、ヒット作を次々と生み出した。25年松竹を退社、同年新藤と近代映画協会結成、製作者としても「原爆の子」「縮図」などの佳作を作る。以降「偽れる盛装」「源氏物語」「夜明け前」「足摺岬」「夜の河」「越前竹人形」「こころの山脈」「襤褸の旗」など名作を発表、“社会派の巨匠と呼ばれた。また、高峰三枝子、原節子、山本富士子らスター女優を育て、女優づくりの名人といわれた。テレビ時代劇「鬼平犯科長」なども手掛けた。著書に「映画のいのち」「キネマの時代」「京の路地裏」「味の歳時記」「映像の演出」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「吉村公三郎」の意味・わかりやすい解説

吉村公三郎
よしむらこうざぶろう

[生]1911.9.9. 滋賀
[没]2000.11.7. 神奈川
映画監督。1929年松竹蒲田撮影所に入り,島津保次郎の助監督を務めた。1934年に無声の短編喜劇『ぬき足さし足・非常時商売』で監督デビューし,1939年に正式に監督に昇格。『暖流』(1939)でその地位を確立し,『西住戦車長伝』(1940)も好評を博した。1950年に松竹を退社し,新藤兼人と独立プロダクション近代映画協会を設立した。戦前から戦後の日本映画の黄金期を支え,文芸作品から社会問題まで幅広いテーマで作品を撮り続けた。おもな作品に『安城家の舞踏会』(1947),『わが生涯のかゞやける日』(1948),『森の石松』(1949),『偽れる盛装』(1951),『足摺岬』(1954),『夜の河』(1956),『こころの山脈』(1966),『襤褸(らんる)の旗』(1974)などがある。1976年紫綬褒章,1982年勲四等旭日小綬章を受章。

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百科事典マイペディア 「吉村公三郎」の意味・わかりやすい解説

吉村公三郎【よしむらこうざぶろう】

映画監督。滋賀県生れ。日本中学校(東京)卒業後,1929年松竹蒲田撮影所入所。《兄とその妹》(1939年)などのメロドラマで知られる島津保次郎に師事する。監督第1作は《ぬき足さし足・非常時商売》(1934年)。《暖流》(1939年)で注目され,以後悲劇,喜劇,メロドラマ,アクション物,戦争物,時代物と多彩さを見せた。1950年松竹を退社し,新藤兼人らと近代映画協会を設立。主な作品に新時代の女性を描いた《安城家の舞踏会》(1947年)や《西陣の姉妹》(1952年),《夜明け前》(1953年),《足摺岬》(1954年)などがある。
→関連項目島津保次郎

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉村公三郎」の解説

吉村公三郎 よしむら-こうざぶろう

1911-2000 昭和時代の映画監督。
明治44年9月9日生まれ。昭和4年松竹に入社,9年「ぬき足さし足」で監督デビュー。14年「暖流」のヒットで注目される。戦後は「安城家の舞踏会」「森の石松」などを手がける。25年新藤兼人らと近代映画協会を結成。以後「偽れる盛装」「夜の河」「越前竹人形」などを発表。平成12年11月7日死去。89歳。滋賀県出身。日本中学卒。

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367日誕生日大事典 「吉村公三郎」の解説

吉村 公三郎 (よしむら こうさぶろう)

生年月日:1911年9月9日
昭和時代の映画監督
2000年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の吉村公三郎の言及

【日本映画】より

…ここで日本映画は新しい段階に入り,現代劇においてめざましい達成がとげられるに至った。小市民映画と女性映画・メロドラマを中心とする松竹では,五所平之助《花嫁の寝言》(1933),島津保次郎《隣りの八重ちゃん》(1934),小津安二郎《一人息子》(1936),清水宏《風の中の子供》(1937),吉村公三郎《暖流》(1939),渋谷実《母と子》(1939)や,大ヒット作《愛染かつら》(1938。野村浩将監督)がつくられた。…

※「吉村公三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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