和泉国衙跡(読み)いずみこくがあと

日本歴史地名大系 「和泉国衙跡」の解説

和泉国衙跡
いずみこくがあと

[現在地名]和泉市府中町一―七丁目

「続日本紀」の示すように、和泉国はもと河内国に含まれていたが、霊亀二年(七一六)四月一九日大鳥・和泉・日根の三郡をもって和泉監を置き、天平一二年(七四〇)八月二〇日にはこれを廃して河内国に併せ、天平宝字元年(七五七)五月八日には和泉国をたて(同書)以後は三郡からなる下国として確立した。このことが、和泉国衙を理解するうえでの前提となる。和泉国衙に関する古代文献は残されておらず、後述のように考古学的調査も部分的に行われているにとどまるが、現存地名条里遺制・古道などから歴史地理学の方法によって国衙の概要があきらかにされている。国衙は現和泉市府中ふちゆう町内に、この地域の北四六度西の方向をもつ条里に沿って、五町四方の区域をもって形成されていた。

国衙の中心である国庁のあったと推定されるのは「御館山みたちやま」の地名をもつ地域である。この地域は国衙域の南東辺の中心にあり、北東から南西に直進する和泉地域の官道である熊野街道(小栗街道)北西で接し、南東部に通ずる槙尾まきお街道・牛滝うしたき街道の起点に位置、国の津である大津おおつ(現泉大津市)に向かう大津街道の起点でもあり、和泉中心部の交通の要地を占める。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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