喜来村(読み)きらいむら

日本歴史地名大系 「喜来村」の解説

喜来村
きらいむら

[現在地名]鴨島町喜来

内原うちばら村の北西に位置し、東は牛島うしのしま村、北は阿波郡知恵島ちえじま村。北部を川が東流する。貞治三年(一三六四)三月日の檀那譲状(仙光寺文書)で善智は弟子大輔房に「牛嶋の崎来のゑんしちゑんしゆう兄弟」の一族(同妻女の一族とも)などの檀那を譲渡している。この牛嶋の崎来は当地のことと思われる。なお善智は応安元年(一三六八)三月一三日にも重ねて大輔房に当地などの檀那を譲渡している(「檀那譲状」同文書)。天正一七年(一五八九)一一月吉日の麻植郡之内喜来村検地帳(鴨島町中央公民館蔵)によると高四九二石余。慶長二年(一五九七)の分限帳では知坂伊右衛門知行分のうちに喜来高三四三石余がみえる。正保国絵図には喜来村とあり、高四九二石余。

喜来村
きらいむら

[現在地名]三原町神代喜来じんだいきらい

富田とみだ村の南西にある。南部を越良こえら川が北西流する。もと円行寺えんぎようじ原といわれた野原を開発して成立した村(味地草)。天保郷帳に喜来村とあり、高七九石余。反別戸数取調書によると反別一四町七反余、高七九石余、うち蔵入高二〇石余・給知高五八石余、給人は林大蔵。家数三七・人数一三三。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android