坊浦(読み)ぼううら

日本歴史地名大系 「坊浦」の解説

坊浦
ぼううら

[現在地名]坊津町坊

坊村にあった浦。寛政一二年(一八〇〇)書写の諸郷村附並浦附(県立図書館蔵)には「坊泊浦」とみえるが、泊は衍字とされる。坊津湊の南岸に位置し、西をてらヶ崎、東をつるヶ崎に囲まれる。なお坊浦は坊村の浦(坊津浦・坊津湊)の意で、より広範囲をさすとも考えられる。浦は勝手方家老の下の御船奉行の指揮を受け、郷士年寄が責任者となって浦役を勤め、その下役として弁指・名頭・名子がいる。浦役には規定の役高はないが、坊津拾遺誌(坊津町歴史民俗資料館蔵)に「御浦役人様、御役料之事」として銭一六貫六六〇文・古銀一五〇匁・文銀一三匁五分との記録がある。浦の特徴を示す重要な賦役は浦水手役で、水手一人につき水手銀五五匁を上納した。ほかに雇水手役があり、浦水手役とともに浦の総人数によって定数が決められていた。延宝八年(一六八〇)には、浦人四二〇人に対し三〇人に一人の浦水手役を課されている(列朝制度)。前掲坊津拾遺誌に載る享保(一七一六―三六)の「坊村ノ内本坊・下浜商漁姓氏録」は一九家をあげ、うち一一家が商いとともに漁を営んでいるとする。享保六年、坊浦の蒲地曾左衛門は坊村の中坊なかぼう太鼓たいこ橋を架け、坊浦に堤防を築いたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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