大倉幕府跡(読み)おおくらばくふあと

日本歴史地名大系 「大倉幕府跡」の解説

大倉幕府跡
おおくらばくふあと

[現在地名]鎌倉市雪ノ下三丁目

源頼朝墓の下方清泉せいせん女学院付属小学校敷地を中心に、南は六浦むつら道に、西は鶴岡八幡宮に接する地域と伝える。治承四年(一一八〇)一二月一二日、大倉の地に源頼朝新亭が造られたことにより、便宜上、大倉幕府という。嘉禄元年(一二二五)一二月に宇津宮辻子うつのみやずしに移るまで幕政の中心であった。これよりさき、先祖の源頼義・義家が初めて居館を構えたところと伝える説もある(保暦間記など)

幕府の敷地について「風土記稿」は方六町ばかりとするが、東西間口は南の線で約三七〇メートル(約三町半)、南北約二二〇メートル(約二町)と想定できる。東西の間口は西御門にしみかどに通じる現在の道筋(新道)より鶴岡八幡宮に接した広がりをもっていたとみるべきであろう。「吾妻鏡」によると、この郭内にはおよそ次の建物が認められる。寝殿(治承四年一二月一二日条)大御所(建仁三年九月六日条)・小御所(養和元年五月二四日条、建久三年九月一〇日条)・対屋(建久二年七月二八日条)・北向御所(正治元年七月二六日条)・常御所(建保四年四月九日条)・御所対面所(承元元年七月一九日条)釣殿(文治四年七月一〇日条)・侍所一八ヶ間(治承四年一二月一二日条)・問注所東西廂二ヶ間(元暦元年一〇月二〇日条)・弓学問所(建保元年二月二日条)・進物所(承元元年一二月三日条)御厩(養和元年五月二三日・二四日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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