大坂三郷(読み)オオサカサンゴウ

デジタル大辞泉 「大坂三郷」の意味・読み・例文・類語

おおさか‐さんごう〔おほさかサンガウ〕【大坂三郷】

江戸時代、大坂を南組・北組・天満組てんまぐみの3区に分けたものの総称。

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精選版 日本国語大辞典 「大坂三郷」の意味・読み・例文・類語

おおさか‐さんごうおほさかサンガウ【大坂三郷】

  1. 〘 名詞 〙 江戸時代、大坂の行政区画、北組、南組、天満組の三区画の総称。各組にはそれぞれ惣年寄が置かれ、惣会所に寄り合って町政事務をつかさどっていた。
    1. [初出の実例]「身こそひんなれ大坂三郷かくれもない、かなづちせんべい三郎兵衛」(出典:浄瑠璃・心中刃は氷の朔日(1709)上)

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日本歴史地名大系 「大坂三郷」の解説

大坂三郷
おおさかさんごう

江戸時代の大坂市中をさす呼称。元来は元和五年(一六一九)に設置された町方組織である北組・南組・天満組の三組をまとめていう場合の呼称であったが(大坂濫觴書一件)、それが地域名称としても使用されたものである。天保一四年(一八四三)の町触(「大阪市史」所収)には「大坂三郷・兵庫・西之宮」「三郷并兵庫・西之宮」とあって、大坂三郷または三郷が兵庫や西之宮同様地域名称として使われている。明治二年(一八六九)五月、三郷の制に替えて四大組制が採用されて以後、市域の変動および拡張などもあって三郷という表現は姿を消した。なお、町人居住地の周辺にあった寺屋敷(寺町)武家屋敷地は三郷内には含まれず、これらを含む場合の地域名称としては大坂がふさわしいが、ここでは周辺地域をも含んで言及する。

〔戦国期の都市発展―前史―〕

古くは古代難波なにわ(現東区)上町うえまち台地に置かれ、都が大和や近江・山城に移ったのちも要地として重視された。しかし大坂の直接の前史を求めるとすれば、明応五年(一四九六)蓮如が「摂州東成郡生玉之庄内大坂トイフ在所」(同七年一一月二一日付消息)石山いしやま御坊(跡地は現同上)を営んだことをあげねばならない。天文元年(一五三二)山科やましな本願寺(跡地は現京都市山科区)が焼かれたのちは、本願寺教団の本山が石山御坊に移り、石山本願寺の寺内町として同台地の北部を中心に六町、のちには一〇町を超える繁栄がみられた。また都市大坂の成立の前提には周辺部の経済的発展があった。堺は国際貿易港で自治都市として知られ、応永六年(一三九九)の兵火で一万戸が焼失したと伝える発展を遂げていた。平野ひらの(現平野区)は内陸部の要地として栄えたし、天王寺てんのうじ(現天王寺区)は四天王寺の門前町として明応八年には「七千間在所」といわれた(「大乗院寺社雑事記」同年九月一三日条)。このような大都市をさておいても、城下町として芥川あくたがわ(現高槻市)池田いけだ(現池田市)、宿場町・港町として枚方ひらかた(現枚方市)などがあった。また石山本願寺の勢力圏として真宗寺院の寺内町が数多く成立していた。東成ひがしなり木村このむら(現生野区)の布座、遠里小野おりおの(現住吉区)の製油、豊島莚・深江笠などの特産品生産が行われていた。このように大坂周辺では経済発展が進み、とくに都市人口が多かったことは大坂の成立にとって大きな意味をもっていた。

〔豊臣政権の城下町〕

大坂の直接的な成立は、豊臣政権の城下町として建設されたことに始まる。

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世界大百科事典(旧版)内の大坂三郷の言及

【大阪[府]】より

…さらに木綿,酒造,油絞り,染物,薬種などの工業生産と商品流通が在郷町において発達した。大坂三郷はかかる摂河泉地方の中心都市であると同時に,諸国の蔵米,国産物をはじめとする全国物資の集散地,各種問屋,金融業,問屋制家内工業の集積する商工業都市であり,〈天下の台所〉であった。懐徳堂,適塾,含翠堂による学問,俳諧,浄瑠璃,小説などの上方文化も隆盛をみた。…

【大阪[市]】より

… 1583年(天正11)の豊臣(羽柴)秀吉による大坂城築城と城下町経営は,現代都市の直接の前身をなす都市建設であった。上町台地北部と微高地の砂州地形を巧みに利用し,北組,南組,天満組からなる大坂三郷の市街地が,数多くの堀川の掘削と河川改修を進めて整備された。〈出船千艘,入船千艘〉と評された大坂は,淀川琵琶湖水運と瀬戸内水運の結節点をなして,全国の流通経済の中心となった。…

【摂津国】より

…元和・寛永期(1615‐1644)には道頓堀川,京町堀川,江戸堀川,海部堀(かいふぼり)川ほかが掘られ,100余の橋で結ばれる大都市としての基礎が固まった。町は元和ごろ北組と南組に分かれ,承応(1652‐55)ごろに天満組ができて,大坂三郷と総称されるようになった。三郷の町人人口は18世紀中ごろ40万を越えた。…

※「大坂三郷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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