デジタル大辞泉 「大宮」の意味・読み・例文・類語
おお‐みや〔おほ‐〕【大宮】
㋐神の御座所。神社。
「今年―および大寺をつくらしむ」〈舒明紀〉
㋑天皇の御所。皇居。
「
2 《「おお」は年をとった人、「みや」は身分の高い女性の意》
㋐皇太后・太皇太后の敬称。
「―この夕暮れより御胸悩ませ給ふを」〈源・東屋〉
㋑母である皇族の女性の敬称。
「―は、いよいよ若く」〈源・総角〉
㋒皇族、または皇族出身の高齢の女性の敬称。
「―の
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
富士山の南西麓,富士山本宮浅間(せんげん)神社の門前町。大宮神田の市に始まり,門前町として集落を形成した。甲斐と駿河を結ぶ甲州街道の宿場町,富士登山の表口の町として繁栄。富士大宮司家が支配し,室町時代には六斎市が立った。1566年(永禄9)今川氏真は大宮六斎市を楽市とし,門前の神田橋関を停止,80年(天正8)武田氏は大宮西町に新市を立てて六斎市とするなど駿甲連絡の要衝として重視した。江戸時代,大宮の町は神田町,中宿町,連雀町,伝馬町が連なり,神田橋から武田氏の立てた新市である西新町,北折して田宿町,新立宿,立宿町が町並みを形成。門前の神田橋および社人町を中核として甲州街道ぞいに発達した。江戸時代中期以降材木はじめ和紙の集散地としても発展し,明治以降昭和初期まで静岡県第一の製糸工業の町であった。生糸は身延線開通まで馬車鉄道が東海道鈴川駅に通じ,横浜へ送られた。1942年富士宮市となった。
執筆者:川崎 文昭
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…人口11万9536(1995)。中心集落大宮は富士山本宮浅間神社(浅間神社)の門前町として,また富士山登山口として発達した。明治・大正には養蚕業が盛んであったが,1913年に富士~大宮間に富士身延鉄道(現,JR身延線)が開通し,東海道本線と結ばれると商業が発達し,第2次大戦前には沼津市と並ぶ県東部の中心都市であった。…
…翌年支配地は埼玉,品川,小菅3県に分割),下総知県事(同前,葛飾県),岩鼻県,韮山県の管轄地となったが,なお幕末以来の忍(おし)藩,岩槻藩,川越藩,および半原藩,前橋藩,高崎藩などの飛地が錯綜していた。71年廃藩置県を経て諸県は統合され,荒川を境に浦和(大宮県が改称),忍,岩槻3県の管轄地を中心とした埼玉県(埼玉郡と足立・葛飾両郡の一部)と,川越,半原2県の管轄地を中心とした入間(いるま)県(新座以下13郡と多摩郡の一部)に二分されたが,73年入間県は群馬県と合併して熊谷県となった。75年埼玉県は千葉県葛飾郡の一部を編入,足立郡の一部を東京府へ移管し,さらに翌年熊谷県の廃県に伴い旧入間県域を併合して,ほぼ現在の県域が確定した。…
※「大宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新