大楯新田村(読み)おおだてしんでんむら

日本歴史地名大系 「大楯新田村」の解説

大楯新田村
おおだてしんでんむら

[現在地名]遊佐町小原田おはらだ

大楯村の東にあり、東は平津ひらづ村。明暦二年(一六五六)の検毛帳(飽海郡誌)では高一一石余。貞享年間(一六八四―八八)の村組付(同書)では高七石余、免四ツ三分七厘、家数一御役下。享和三年(一八〇三)には家数三・人数一五(「村数家数人高控帳」斎藤文書)庄内要覧によれば免四ツ三分七厘、家数三。寛永一一年(一六三四)下野沢しものざわ村菅原次右衛門と上楸島かみぐみじま村石川作右衛門は、藩命により由利ゆり仙北せんぼく両郡(現秋田市)に欠落した農民を連戻し、当村を含む天神新田てんじんしんでん村など七ヵ村を開発した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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