大永寺(読み)だいえいじ

日本歴史地名大系 「大永寺」の解説

大永寺
だいえいじ

[現在地名]守山区大永寺町

寿昌山と号し、曹洞宗。本尊釈迦如来。山田重忠が父重満十七回忌にあたり建久八年(一一九七)にその菩提のために建立し、父の法号にちなみ寿昌じゆしよう院と名付けた。八〇余坊の寮舎を構えた天台宗の道場であった。これは長母ちようぼ(現東区)長慶ちようけい(長兄寺)に対する長父寺にあたる。ただし長父寺と寿昌院とは別との説もある。この「長」は敬称であるとともに弔の意でもあろう。

永正一七年(一五二〇)兵火にかかって焼失したので、大永元年(一五二一)重忠の後裔小幡おばた城主岡田重頼が丹波国村雲むらくも(現兵庫県)の洞光寺六世柏悦道根(大化知幻禅師)を迎えて中興、曹洞宗に改宗し、寺号を年号によって大永寺と改め、それまでの院号を山号とした(徇行記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

五節舞

日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...

五節舞の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android